元自衛官 荒谷 卓

陸上自衛官の武器科職種OB会講演B

【明治神宮至誠館館長としての活動】

 明治神宮至誠館では、海外から武道と神道の研修生を受け入れています。毎年1〜2名の海外門人に対し、奨学金を出して、1〜2カ月間、明治神宮至誠館で武道と神道を研修するのです。
 その中で、昨年イスラエルから初めて研修生を受け入れました。その人は、イスラエル生まれの正統なユダヤ教徒です。
彼は、オックスフォード大学の哲学博士で、大学で学生を指導していた非常なインテリなのでが、ヨーロッパの至誠館武道セミナーに参加して、日本の神道と武士道の精神性に強い関心を持ちました。そうして彼は、どうしても日本に行って、日本の神道と武道を勉強したくなったらしいのです。
 しかし、ユダヤ教では、ユダヤの神以外を信ずることは禁止され、神道も自然崇拝として否定されています。それでも、ジョナサンは日本の神社に行って研修を受けたくて、親族会議が開かれたそうです。そこで、アメリカ国籍で、先の大戦時、アメリカ空軍のパイロットとして従軍し、日本国内で墜落して捕虜として福岡の捕虜収容所に終戦までいたという伯父さんが、親族に対して説明した言葉は、「私は、アメリカ人として従軍したが、米国社会でユダヤ人は常に疎外感を受けていた。驚くべきことに、捕虜として日本での生活の間、そのような差別感を全く感じることはなく、自分にとって最も心の安心を得た期間だった。イスラエル以外で自分が受け入れられた社会は、日本だけであった。」というのです。この伯父さんの言葉で、親族の同意を得て、彼は研修に参加することを許されたそうです。
 彼本人も、ヨーロッパで暮らしても、アメリカに行っても、常にユダヤ人としての疎外感を感じるが、日本では心地よい受容の空気を感じるといいます。
 神道の祭典に参加した彼は、『信仰の義務付けが存在しない神道は素晴らしいと思います。これは私が今まで出会ったことのない宗教観です。神道では、厳格な規制や考え方が無いために幅広い多様性と自由が生まれるのです。』と言っています。
 また、彼は研修成果報告の中で次のように記しています。『日本の「調和」の精神は心を和らげてくれました。調和と共助の要素を持つ日本社会がどの様に構成されているのか、自分自身に問いかけてみました。私達は皆、恩恵を与えてくれた祖先に借りがあり、その借りを次世代に返す役割があります。この恩恵に対する「感謝のこころ」は伝統的社会では受け継がれていても、個人主義的な現代社会では失われています。日本の社会には「感謝のこころ」がしっかりと認識され、存在していることを知りました。この「感謝のこころ」が、日本だけでなく世界の国々の多くの文化で共感できる価値観だと、思います。この「感謝のこころ」を持つことによって、人々が同じ土台に立てるのです。』と。明治神宮での研修を期に、彼は毎年日本に来て、神道と武道精神を学び続けています。将来は、母国イスラエルと日本で半々の時間を過ごせるようにしたいと考えているようです。
 日本人の中にはこういう受容と和の文化が自然に根付いており、彼の伯父が言ったように、他者を排除しないという社会の空気があると言うことは、派他の外国人も皆、共通して指摘するところです。

 神道には教義のようなものは有りません。神社だけではなく、自然や祖先とのかかわりで、夫々の人が感じるものが神道であり、彼が感じたのが、彼にとっての神道となるのです。
 グローバル化した社会だからこそ、むしろ価値観の多様性を本当の意味で共用できる、お互いが尊敬を持って存在しえる日本の文化は重要です。
 神道では、ユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒であるかどうかなどということ一切問わないのです。神社がそうであるように、あらゆる人々条件を付けずに受け入れる。こういう受容性が非常に大事で、日本人が当たり前だと思っていることが、実はすごく特異で素晴らしいのだと彼は言う訳です。

 5年前に、ポーランドで至誠館武道セミナーを開催した時、イギリス人の参加者の方の親友がアフガニスタンで亡くなったという訃報が届きました。そのイギリス人は、非常に悲しまれ、セミナーへの参加を継続できないと言ってきました。
至誠館武道のセミナーでは、開会式と閉会式は神道の祭典を執り行うため、常に神官が同行しているのですが、そのときのセミナーに同行していた明治神宮の神官が、「それでは貴方のご親友の鎮魂祭をやりましょう。」と提案したのです。

 次の朝、早朝にみんなが集まって、会場にある一番大きな木にしめ縄を張って、鎮魂祭を執り行いました。その時の神職の祝詞は、「かけまくも、かしこきキリストの大神の御前にかしこみかしこみも白さく・・・」と、亡くなった方が信仰していたキリスト様に鎮魂をお願いする内容でした。
 そしたら、そこに集まっていた約100名の欧州各国の参加者は、皆大感激なのです。こんなことがあるのかというぐらいの大感動なのです。インター・レリジョンとでも申しますか。宗教の境界を意図も簡単に乗り越え、鎮魂際を為しえたのです。
それ以来、海外での武道セミナーで神官は、大人気です。
 また、祭典で使用した、しめ縄や幣帛を頂けないかなどと言う人もいました。
 実は、ポーランドの人は90%以上がカトリックですが、カトリックに改宗する前のスラブの民族神話があって、その民族信仰の様子を描いた絵が残っています。その絵を持ってきてくれて、それを見てみると、木に縄を巻いて、神道の祭儀と同じ様なことを行っている絵があるのです。
 彼らのスラブ民族の祖先は同じ様な信仰行事をしていたのではないかと彼らが言い出し、だから神道の祭儀の道具をくれないかと。
 同じように、ドイツで神道の祭典を執り行ったときも、神道の祭儀はゲルマン人の森の信仰そのものだと言っていました。
人類共通のエートス(ethos:一般に、ある社会集団・民族を支配する倫理的な心的態度のこと)があるというのは、そういう意味なのです。

 欧州においては、キリスト教の布教と近代の世俗主義によって社会の価値観が一転二転して、それまでの民族信仰は根絶やしにされてしまいました。彼らの元々の民族的価値観が、一体どのようなものだったのか分らなくなっているのです。それに比して、日本は、弥生時代からの信仰儀式をいまだに生きた信仰として守っている。そこに彼らは、価値と普遍性を感じ、ポスト・グローバリゼーションのトリガーになるのではないかと考えているのです。

 一昨年、ジュネーブで開催された武道講習会に指導者として呼ばれました。開催場所は、欧州原子力核研究機構(CERNという世界最大の素粒子物理学の研究施設です。ジュネーブとフランスの国境に跨って地中に27Kmの超伝導のサークルを2本作って、超高速で原子を飛ばし途中で衝突させて原子を破砕し、素粒子を観察している実験場です。少し前に、ヒッグス粒子等質量のない素粒子を発見したことで有名です。
いまや、物理学は、ニュートン力学の時代は終わって素粒子の世界になっている訳で、その最先端の実験施設に、武道講習会の指導者として呼ばれて行ったわけです。
 この施設では、宇宙はどのように出来たのかということを実験的に証明しようとしています。大体今分っているのは、宇宙の最初には物質は無かった。つまりエネルギーのような非物質しかなかった。その非物質が高密度に凝縮したところで、ビッグバンが起きて、エネルギーが拡散していく中で物質が凝固し星が出来た。その物質は、一定期間経つとまた非物質に変換する。こういうことは、実験で証明されているそうです。
宇宙には、ビッグバンのようなプラスのエネルギーと、正反対のマイナスのエネルギーも有るのだと。マイナスのエネルギーとはブラックホールのようなものです。
 これは、ヨーロッパ人の人々にとって非常にショッキングな実験でした。特にキリスト教の信仰者やニュートン力学に閉じこもった科学者には、今まで正しいと思っていたことがどんどん否定されていく。非常にショッキングなことです。
さて、そこで何故私をよんだのかという話とかかわってくるのです。
日本の神道の宇宙観、自然観、人間観とはどういうものなのか、ということです。(つづく)

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