元自衛官 荒谷 卓

拉致問題の深層

 かくも長期間にわたる政府の拉致問題に対する未解決状態をみれば、荒木代表が指摘するように『政府は確信的に拉致問題を解決しようとしていない』との認識は、だれもが正しいと思うだろう。では、日本で拉致問題が進展しない理由の深層はなにか。ここでは、戦後の日本再建に着目して、経済と政治の問題及び国民の精神状態について触れてみる。

GHQの占領政策の中の主要な柱でもあった財閥解体は、日本陸海軍解体と同様に徹底して遂行されていた。しかし、昭和23年、ちょうど日本の再軍備が動き出した頃から、米国財閥の圧力もあり、日本の経済復興へと占領政策を転換した。つまり、日本の軍事力と経済力を米国の統制下に政治的に活用しようという国際戦略(主に対ソ戦略)によるもので、これに加担した日本の経済人が、今日の米国に依存した経済システムを作り上げた。彼らは、日本が事実上占領国家であろうが、防衛等の経済負担を回避し、ただただ経済の高度成長を追及することが望ましいと考えた。そして、日本国憲法の庇護下に絶大なる社会勢力となり、政治をコントロールする十分な実力を持った。一方、政党はただ票を集め政治資金を得るため、経済界主力の欲するままに動くシステムを完成させた。 この結果、占領政策を是正し誇りある独立国家再生を願う国民の希望は道を閉ざされた。現下の日本の状況は、完全に非独立的経済・政治システムの管理化に有り、戦後のこうした流れにある政財界人にとって、拉致問題解決はまじめに検討するに値しない課題でしかないのだろう。
次に、国民の問題である。日本民族の集団としての団結力の強さを戦争を通じていやというほど味わった戦勝国は、日本民族の団結力弱体化を占領政策の核心とした。それは、表面上の実力である軍事力や経済力よりはるかに大きな課題であった。具体的には、強力な独立国家として二度と機能し得ないように、国家の支柱たる天皇を国民から切り離し、教育により価値観の革命を図り、人権の名の下に集団に対する義務的精神を嫌うエゴイストを正当化する憲法を提供した。憲法9条の戦争放棄は、ガンジーのように自己を犠牲にしても武器の前に無抵抗で戦う崇高なる精神とはまったく無縁の「侵略国の国旗を揚げて歓迎しても戦いはしない」という、「精神価値の放棄」を象徴している。このような人間は、同胞が拉致されその家族が苦悩している状況を自らの問題として考えることもなく、ましてや、理不尽を正すためには戦いを辞さない等ということはゆめゆめ思わないだろう。日本人本来の美しくて強い精神文化である『社会共同体の幸福を最大の優先価値として、そのためには自己犠牲もいとわない』建国の理念や武士道は消滅しかけ、上から下まで自己の要求を最優先する輩が日本を占有している。自然観も、自然への調和から経済効率優先へと変わり、貴重な日本の山野が崩壊され、そこに根付いている土着の伝統文化が瀕死の状態にある。

拉致問題を解決しようとする者は、敵がどこに存在し、味方がどこに存在するのかをよく見極めなくてはいけない。不正なる北朝鮮国家機関は主要な対象ではあるが、北朝鮮人民を敵視する必要はない。彼らは味方にもなりうる。それ以上に重要なのは、『内なる敵』の存在こそが、拉致問題解決のための最優先課題であるということである。

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