元自衛官 荒谷 卓

特殊作戦群と武士道

特殊作戦群と武士道
初代群長ロングインタビュー

第一部 初代群長、特殊作戦群を語る

●荒谷 卓(明治神宮武道場「至誠館」館長/元陸上自衛隊特殊作戦群初代群長)
自衛隊内部での理解を得ることのむずかしさ

本日はお忙しいところをありがとうございます。まず、荒谷さんの簡単なプロフィールをご紹介願いします。
秋田県で生まれ、東京理科大学で学び、大手ゼネコンに就職も決まっていたのですが、大学時代から通っていた、至誠館の恩師の『お前は軍人顔をしているので、自衛隊に行け』という勧めで、自衛隊に入りました。当時は自衛隊のことを良く知らなかったので、自衛官を目指すのに、防衛庁(当時)内局の国家公務員上級職の試験を受けて、面接で話がなんか合わないなぁと気付いたほどです。陸上自衛隊では、福岡の第19普通科連隊、調査学校、第1空挺団、弘前の第39普通科連隊、陸幕防衛部研究課・防衛課・運用課、防衛極防衛政策課戦略研究室、特殊作戦群、研究本部などに勤務しました。

荒谷さんは陸上自衛隊時代に、特殊作戦群初代群長を務められました。「初代」ということで立ち上げに御苦労されたり、印象深いエピソードなどはありますか?
当時、陸上自衛隊では特殊作戦について十分な理解がなかったんですね。私自身も、グリーンベレーに留学してようやく特殊作戦を理解しました。しかし、帰国後、特殊部隊を作るということを、部内的に理解してもらうのは大変でした。レンジャーと特殊部隊の違いを、自衛隊の内部でも理解できなかったんですね。いまだに理解していない人も結構いると思います。
例えば、駐屯する場所を習志野駐屯地にしたのもその影響があります。つまり、空挺レンジャンジャーと特殊部隊の違いが良くわからず、空挺の延長に特殊部隊があると考えたという点があるでしょう。実際には、機動展開が秘匿できて戦略展開が容易な立川や横田、あるいは木更津などが良かったと思います。習志野駐屯地からですと、車両で移動しなければならず、しかも、駐屯地に面している基幹道路の成田街道は慢性的渋滞が続いています。これでは、迅速な機動展開は大変難しいのです。
グリーン・ベレーの本拠地があるノースキャロライナ州のフォート・ブラックにも、82空挺師団が駐屯しておりますが、これは、82空挺師団と一緒にいる必要性があったからではなく、空軍のポップ飛行場が隣接して存在したからです。
ちなみに、フォート・ブラッグでもグリーンベレー創設当時は、82空挺師団から目の敵にされたと聞いております。生前、三島瑞穂さんは「空挺からグリーンベレーに志願するものは、裏切り者のように扱われ、二度と空挺には戻らないと誓った」といっておりましたが、習志野でも同じようなことが起こりました。これは残念なことでした。
そもそも、私が特殊部隊を作ろうと思った動機のひとつは、私が空挺団に所属していたときに、国防意識の高い優秀な下士官が、問題意識が希薄で、ただ階級でものをいっている役人幹部と衝突して自衛隊を辞めていく事例を見て、「意志の強い真の戦闘者が国のために精一杯奉仕できる場所を自衛隊の中に作らなければいけない」と思ったからです。その空挺兵から敵視されたのは、本当に残念でした。まあ、そんな中でも、空挺団を始め全国から、高い志を持った真の戦闘者たちが特戦に来てくれたのはありがたいことでした。

さて、話を特殊作戦に戻しますが、特殊作戦には、陸上自衛隊でやっているありとあらゆる要素が入っています。まずは、情報、通信、衛生、施設、補給など各職種で教育していることを全部理解し実際にできないといけない。でも、それだけでは足りない。その足りない部分は新たに教育訓練の仕組みから作る必要があったのです。
受験者はレンジャーと空挺資格を有していないとダメなのですが、両方の資格を持っている、自信満々の陸曹でも選考検査からどんどん落ちます。合格するのは30%以下でしたからね。すると「なんてわがまま部隊なんだ」とか、「我が部隊のぴか一の隊員を落とすとはけしからん、どういうつもりだ」といった声も上がりました。しかし、一般の自衛官としての評価が良くても、特殊線戦士の能力は次元が違うので、いくら将軍が怒鳴り込んできても、特殊部隊の質を確保するため、だめなものはだめとして断固貫き通しました。

 
特殊作戦群は当初、英語の頭文字でSOG:Special Operations Groupと呼ばれていましたが、最近はSFGp:Special Forces Groupとしています。元々スペシャル・フォースですから、スペシャル・オペレーションだと概念が広く、心理戦部隊や民事もその中に入ってしまいます。例えばSOCOM:Special Operations Commandがありますよね。あれは特殊作戦司令部ですが、陸軍ならその下に、グリーンベレーだけではなく、レンジャー、民事部隊、心理戦部隊、ヘリコプター部隊もあります。それはちょうど中央即応集団と同じような構図ですから、特殊作戦群をSOGと言うと、作戦機能上の概念が合わなくなってしまうのです。そこで中央即応集団ができて、その中に入ったことで、SFGpと改めたのですが、元々、その方が良かったのです。

特殊部隊は別系統の指揮で動く

特殊作戦群は陸海空3自衛隊の中でも、どのような特徴がある部隊なのでしょうか? また、警察や海上保安庁の特殊部隊との違いは何でしょうか?
まず、通常戦と特殊戦とは概念が違います。陸海空軍というのは、陸戦をする部隊、海戦をする部隊、空戦をする部隊という国際法上の概念があって、それは通常戦を行う部隊です。そのため、どこの国でも特殊部隊というのは第四の軍種として、通常作戦ではない作戦をするのです。
したがって、指揮系統が違ってきます。例えば、アメリカ軍のイラク/アフガニスタンでの作戦は、CENTCOM(Central Command:中央軍)がやっていますよね。並列してSOCCENTがあります。特殊部隊は作戦指揮において、CENTCOMには入っていません。陸海空軍の戦力は統合軍としてCENTCOMの一つの指揮で動いていて、特殊部隊は独立した、別の指揮で動いているということで、指揮系統が全く違うのです。ですから、特殊作戦群も大臣直轄で、一般部隊とは異なる“指揮系統”を採っています。海上自衛隊の特別警備隊は、大臣直轄ではなく、自衛艦隊司令官の指揮を受けます。通常部隊指揮官の指揮を受ける特殊部隊というのは聞いたことがありません。特別警備隊を特殊部隊として運用するのであれば、指揮系統を見直すべきだと思います。
警察の特殊部隊(特殊急襲部隊SAT:Special Assault Team)は治安機関の一つの単位ですから、国内法の規定で国内の運用が主体で、国際的には使えないですね。もちろん、航空機のハイジャックの場合、機内は国内と見ますから、外国の飛行場での運用は想定されるでしょう。一方、海上保安庁の特殊警備隊(SST:Special Security Team)は、公海上では問題なく運用できます。国際的には準軍隊とみなされてます。それぞれ、組織の法的枠組みや作戦目的が違うので、特殊部隊と入っても、似て非なるものです。
今のところ、特殊作戦群と警察や海上保安庁の特殊部隊との交流はありません。海上自衛隊の特別警備隊とは、若干ですが交流はあります。同じ防衛省の組織ですからね。日本の場合、他の省庁との交流は難しいものがあります。

 アメリカでも、実際にSWATとデルタフォースが一緒に訓練することは、従来はありませんでした。最近になって対テロ政策の中で、全ての特殊部隊を一元的に運用する仕組みを整備したと聞いてます。日本も、対テロという観点では、そのような仕組みを作った方が、国家としては有効で効率的だと思います。しかし、いわゆる縦割り行政の壁は大きいですね。特に実力部隊ですので、法律上運用はできないのです。警察の法律で自衛隊が動くとか、自衛隊の法律で警察が動くとかに繋がりかねないので、国として法律を整備して行かないといけないと思います。また、国際法上は、軍隊以外の実力組織が国境を越えて活動することを許しておりません。 警察と自衛隊の合同訓練が行われつつありますが、それは同じ災害派遣などの枠組みに沿って、同じ場所でそれぞれの活動を行っているだけです。自衛隊は自衛隊の活動を、警察は警察の活動をというように動いているのです。国民保護の訓練の場合は、自衛隊も警察も海上保安庁も、全省庁が内閣府の下で一元的に動くように法律が作られているので、これは良い仕組みだと思います。

イラクでの特殊作戦群

荒谷さんから見た場合、理想的な特殊作戦群いうのは、どのようなものなのでしょう。
一般的には、政治が軍事に要求する内容は単純で明快なものでした。戦争で勝つこと。
しかし、最近の軍事作戦は、平和構築活動に象徴されるように、単純明快というわけにはいきません。現地の状況に合わせて戦略目標を達成しなくてはならない。
例えば、イラクやアフガニスタンみたいな場所は、純粋に軍事作戦をやってもダメでしょう。外交的要素もあるし、治安的要素もあるし、民生とか法制とかいろいろな要素が、一つの作戦の中に全部要求されているのです。そうすると、それを軍隊の将官が全部計画できるかというと出来ないし、外交官も全部計画できるかというと出来ません。日本だけでなく、他の国でも行政はタテ割にされているのです。とくに、テロリストと直接かかわる事項は、きわめて複雑に状況が推移するので、そういう時に、統括的にプランニングし実行できるのが、特殊部隊ということになるのです。さらに、状況がどんなに変化しても、求めらている戦略的効果を持続させるため、どんどん計画を修正し実効的作戦を創造していきます。
イラクやアフガニスタンでは、部族間交渉もしなくてはならないでしょうし、イラク・サマワであれば、そこでの多くの部族の協力を得なくてはならない。イラクの人々には、国を破壊されて社会の仕組みも無くなって、不安と苛立ちと危機感がそれぞれの心にあるわけですから、その元を断たないとリスクは減らないわけです。我々がやらなければいけないのは、そのリスクを減らす事になります。そうなると、重要なアクターである部族長とか、県の役人とか、一般住民とかが、何を考え、何を期待しているのか、何を不安だと思っているのかを把握する必要が出てきます。その上で、その人たちの不安感などの感情を冷まさなければいけないので、そのために何をすれば良いのかを探らなくてはいけない。
自衛隊が実施した土木工事や医療活動というのは、イラクの社会再建のため、各アクターが安心と安定を得るために不可欠のものの一つでしたが、それだけでは足りないのです。政府から指示されたのが、土木工事と医療活動だとしても、その活動を通じて日本政府が本当にやりたかったのは、イラクという国の復興・再建だったはずです。その目的に照らし合わせると、具体的には言われてはいないものの、現地の現状に鑑み、こっちの部族とこっちの部族を仲直りさせないといけないとか、この人は力があってガンガン言ってくるけど、彼の意見ばかりを聞いていると残りの9割の人がハッピーにならないとうことで、そのバランスを正常化しなければいけません。ですから、そういうところまで処置する必要が出てくるのです。そのためには、まずコミュニケーションができなくては、やっぱりだめですね。だから、特殊作戦に任ずる戦士は、最低限英語は話せなくてはいけないし、さらに他の外国語を話します。外国語を話すというのは、あくまでコミュニケーションの手段としてのことですから、その前提となる文化や宗教についての基礎的知識も必要です。そういう勉強をすると頭が痛くなるような隊員は、間違いなく特殊作戦群には入れません。
イラク・サマワへの派遣は、特殊作戦群にとっていろいろな意味で、得るものがあったと思います。「特殊部隊を作るのに10年かかるよ」なんて、よくいわれました。それは、10年間訓練ばかりして、オペレーションをしないでいた方が良いという意味ではありません。そんなことをしたら、まったく使えないおもちゃの軍隊になってしまいます。実任務をこなしながら、経験値をできるだけ蓄積させていけば10年後には期待するような特殊部隊が出来上がるという意味であって、任務に就かないで、部隊を溜めておいて、訓練ばかりだけではダメなのです。実戦に勝る教育訓練はないのです。特に、日本のように制約が大きい国では、訓練できる内容は限られており、本当に微々たるものですからね。しかし、そこがわからない高級自衛官が多いのが問題です。中には、わかっているのに何もしない国賊者もいますからね。
特殊作戦群はもちろん陸上自衛隊にとってサマワでの教訓が、今後の活動にも充分に活かされていくでしょう。ただ、サマワにはサマワの条件があって、その条件の中ではうまくいったり、うまくいかなかったりしたのであって、サマワでうまくいったからといってハイチでも通用するなどと思ってはダメです。ハイチにはハイチのバックグラウンドがあるわけですから。
その点を武道の稽古を考えてみると、ある時に勝負をして勝ったとすると、何で勝てたのか、原理原則まで遡って整理しておかないと次に使えないのです。しかも、単に自分の技術ばかり見ていると正しく把握できません。相手のコンディションはどうだったのか、戦うまでの経緯や環境、第3者の動きなど全てがその勝敗に影響しています。その中でも、敵と自分の精神状態はどうだったかが特に重要だと思います。
イラクの話に戻すと、高機動車は役に立ったとか立たなかったとか、ドクターは4名も連れて行ったら余ったとか必要だったとか、銃に取って付けたようなサイトをつけて、良かったとか悪かったとかいう話ははいっぱい出てくるのです。それはその特定条件で起きた事を、ただメモにしているだけですので、普遍的分析までには至っていません。
また、イラクでの活動で特に活躍した隊員というのは、どういう連中だったのか。その連中は、資質的にそうだったのか、なにがしのかのトレーニングでそうなったのか、そのトレーニングとは何だったのか、イラク派遣では事前訓練を3ヵ月間やりましたが、何が、彼を有効な兵士・隊員として成長させる原因となったのかというのは、本当はもっと分析しなくてはいけないのです。その分析がないと、“イラクの3ヵ月の事前訓練でこういう訓練をやりました。じゃ、これでハイチもいけるでしょう”と、なってしまいます。そうすると、良かった事があったかもしれないのですが、役に立たなかったのは通常8割あるといわれますから、やらない方がよかったという訓練もあるので、その分析が必要になるのです。
特殊作戦群ではそこを突き詰めてやるようにしていました。イラク・サマワへは1次隊から10次隊まで全部行っていたこともあり、ズーッと活動を記録し分析して、“海外派遣”には何が必要なのか詰めています。それがイラク派遣の一つの成果ですね。ところが、その後、聞くところによると、その後の国際活動でも、一般部隊では引き続きイラクでの準備訓練をそのままやろうとしています。イラクの訓練はすでに終わっています。武器使用の基準などは派遣毎に違いますし、作戦環境いわゆるコンディションがまったく違うわけですから、一つ一つ何を訓練するかは一から考えていかなくてはなりません。イラクとハイチは活動の根拠になる法律も違うわけで、そういう細かい所を突き詰められる能力があるというのも、特殊作戦群の特徴といえるでしょう。

自らを磨く特殊作戦群の隊員たち

我々には見えない、部内での隊員さんたちのモットーといいますか、習慣のようなものはあるのでしょうか。

特殊作戦兵士は、作戦間も通常の生活も、同じ価値観で過ごせるようにしなくてはいけません。また、真のプロとして、作戦に必要なことには時間も、お金も掛けるし、家族も犠牲にすることになります。普通の隊員さんだと官品で足りるわけですが、特殊作戦群の隊員たちは、装具や衣類なども作戦遂行にベストなものを自分で調達するでしょうし、ソフトウェアもちょっとした休暇で、アメリカ行ったり他の国に行ったりしてトレーニングに参加したり、海外のボランティアに出たりと、いろいろな事をやっています。全ての時間が、特殊作戦にフォーカスしているのです。
私自身、最初の一年で300万以上は自分のお金を投入しました。ほぼ全財産でした。ですから、一般の隊員さんみたいに課業時間が終わったら遊びに行くとか、飲みに行くとかいうのはないですね。飲んでいても、オペレーションの話です。みんなでトレーニングしようとか、ちょっとした2〜3日の休暇があったら航空券をすぐ手配して、海外でトレーニングするなどしていますね。自衛隊の訓練には、制約があるから限界があるじゃないですか。ですから、海外で訓練するという感じですね。
特殊作戦群は、準備段階で“編成準備隊”として空挺団に属していました。ですから空挺隊員の扱いでしたが、当時、手当てや厚生の分野などで、冷遇された時期もありましたよ。空挺から来た隊員は、給料が大きく減ったんです。でも、だれも文句を言う隊員はいませんでした。金や処遇目当てで、特殊作戦郡の隊員をやっているわけではないのです。
自分の人生そのものでないと、特殊作戦になんか従事できませんよ。

特殊作戦群は、
ミッション・インポッシブル!?

特殊作戦群はエリート部隊と言われていますが、隊員になるための資格のようなものは、どのような感じなのでしょう。

自衛隊の隊員は、何か指示されればその通りに行動するタイプが多いのですが、ソフトウェアといいますか、何か指示をもらわないと動けないというのでは、特殊部隊では使えないですね。特殊作戦には、歩兵・普通科のように、突撃して目的地を占領しろ、占領したら陣地を掘れとか、明日の戦闘のために寝ろなどと一々指示を出してくれる指揮官は作戦地域には存在しませんからね。というのも、特殊潜入を駆使して特殊部隊が行く所に、命令を出す人は付いて行けないし、下手にコミュニケーションルートを持っているとバレてしまうので、ある意味、コミュニケーションが断絶しても作戦は継続できるという前提で行くわけですから。そんな条件で、行ってみたら現地は聞いて異な状況と全然違うということもありますから、行動の目的だけ明確にして、具体的な手段は自分たちで創造していかなくてはいけないのです。そういうことができないと、使い物になりません。それについてはしっかりと訓練をするのですけども、そういう性向といいますか、資質がないと教育もできないのです。自分自身でやろうという発想のない人では困ります。
選抜に関しては、例えばですが、シナリオを作って、映画『ミッション・インポッシブル』のどっかのシーンに、突然放り込むのです。トム・クルーズになってその世界に入ったら、『ミッション・インポッシブル』のような状況で、瞬間的な判断と処置が要求されます。もちろん、行く前に「君はトム・クルーズだ。状況はこうで、ミッションはこれだ。」といって、選抜要員をトム・クルーズにして、ミッション・インポッシブルの世界へ送り出すのです。そして、その状況に踏み込んだ瞬間に彼はどういう行動を採るのかを見るのです。すると、頭が真っ白になってしまう者、何をするのか、何をしたらいいか浮かばない者、「何やったらいいのでしょう」と聞いてくる者などがいます。「そんなのトム・クルーズじゃないぞ」と言いながら、リアクションを見続けます。“俺は特殊作戦群に入って、リアルなスペシャル・オペレーションの世界に入って行くのだ”という意識がない人は、そのような条件に突然放り込まれると状況が掴めず、「これは何なのでしょう」とか、「これは何すればいいのですか」といった反応をします。そういう人は、まともにオペレーションするということを考えていない人です。また、オペレーションする事を考えているんだけど、頭の働かない人すなわち能力が足りない人は、その瞬間真っ白になって、アワワワと慌てる状態になってしまうのです。この二つに該当する人物は、特殊部隊の要員として論外ですね。
選考の対象になってくるのは、状況に入った時にとりあえず何か反応する者です。攻撃したり、回避したりするのです。何をしてもいいのですが一通り終わると、「今全員殺しちゃったね。それはなぜ?」といった質問をします。その時に、頭の中にミッションがあって、ミッションを考慮してそうしたというのならいいのですが、ミッションをすっ飛ばして、「武器を持って狙っていたので殺しました」と返答するような者には、「それはミッション的にどうなのか」と問うわけです。「それはよく考えていませんでした」という答えでは、ダメですね。
少なくとも審査の対象になる人は、「私はミッションをこう考えていました。このミッションなので、この状況では、私が取った対応はマイナスもあるかもしれませんが、このようにしてリカバーできると思います」と答えるような者です。自分がとった判断と行動が、どのような効果とマイナス要素を含んでおり、そのリカバリーをこう考えているといったように、ミッションと状況を一通り整理できる人物は、合格ラインということになります。本を読んで勉強してきただけの人物は、一瞬のジャッジが要求されるので、合格は難しいでしょう。ましてや、射撃や駆け足、格闘だけは自信がありますなどという者は即刻帰隊してもらうことになります。  中にはいきなり「撃たないでくれ」と懇願する者や、迷ったフリをして道を聞く者といった者もいます。知能者ですね。いろいろな方法があってもいいのですが、それは考えて行動したのか、あるいは、取りあえずやってみて、反応しながら考えるという事もあるのですが、そうでないとダメなのです。そのような点に注目して、『こいつはできそうだな、使えそうだな』と見極めるのです。

特殊部隊グリーンベレーにみるPR作戦とは

特殊作戦群は、未だ秘密のベールに隠されていますが、なぜなのでしょう。我々から見ると、PR不足のように感じますが……。
私も、もう少しPRしてもいいと思います(笑)。グリーンベレーの卒業式などはオープンで誰でも参加できます。一緒に祝福して、写真も一緒に撮れますし、卒業者の名簿は誰でも貰えます。グリーンベレーの場合は、作戦によっては民事活動もやるので、顔を隠すわけにはいかないし、自分を打ち出していってなんぼのものですから。卒業式の時などはみんな家族が来て、「ウチの息子はグリーンベレーなんだ」といって写真をいっぱい撮って「田舎に持って帰って、みんなに見せるんだ」なんて言っていますよ。ですから、グリーンベレーみたいな特殊部隊でしたら、何にも隠す必要はないのです。まぁ、オペレーションはダメですけど。
ただ、デルタフォースみたいに、カウンターテロ専門だと面が割れていると、テロリスト側にも面が割れるので、カウンターテロの部隊は、さすがに秘密にしていないとまずいでしょう。抑止力はある程度見せてもいいのですが、特殊部隊をどのように性格付けするかで、どのくらい見せられるか、見せられないかが決まってきますね。

日本の防衛よ、奮起せよ!

今現在の日本の防衛の現状は、どのように感じていらっしゃいますか?
そのテーマになると、いっぱい言うことがあります。私は10年ほど防衛政策に携わった経験があるのですが、日本の安全保障・防衛政策には、やる気の無さを感じますね。自ら国防をするという意志を感じません。
戦後、日本の政府は米国と日本国民をだまし、いかにも安全保障政策が実効性あるかのごとく見せているだけです。実質は安保と防衛を犠牲にして経済成長だけ追い求める、いわば商工会議所みたいなものです。
拉致問題で言えば、政府としては認めたくなかったのでしょうが、認めざるを得ない状況になって、17名の方の拉致を認めています。野中何某なんぞは『拉致なぞ絶対にない』と大声を張り上げていたのですからね。しかし、拉致が明らかになった。一言の謝罪も無い。それなのに、このようなことを発言していた奴が親中・親北朝鮮議員としてのうのうと暮らしていける国なのです。
最近は、拉致被害者を帰せとか救出するなどと言っていますが、特殊部隊にそのための検討を指示するなどということはまったく無い。自分は、ビビリながら経済制裁をして、あとは米国にお願いする有様です。
この問題では、同時にやることがあるのだろうと思います。それは、拉致した犯人たちは、日本にいるわけです。一人も捕まえていないでしょう。それが日本に居ないとは言えませんよね。間違いなく居るはずです。そうすると、彼等を野放しにしていて、そのままでいいのかという疑問があります。これが危惧するところです。さすがに、北朝鮮にいって拉致被害者を連れ戻すのは大変ですが、拉致犯人は日本にいるのだから、やる気があればできるはずです。しかし、そのための法律も作らない。つまり、やる気がないのです。やる気がないだけならいいのですが、意図的にやらないのであればそれは共犯ですよね。つまり、内側に敵がいるということですよ。

 自衛隊の創設そのものについては、MSA(Mutual Security Act)法という “反共の立場で防衛努力をする国に対しては、経済支援ができる”というアメリカの法律です。終戦後の日本は、ともかく経済復興したいという事で、アメリカ側から経済支援を受けるための政治交渉をしていた。その結果、対ソ陣営に入って防衛努力を重ねるのであれば、経済支援をしますよ”という相互防衛協定の提案に、『はい、やります』と乗ったわけです。それに基づいて、アメリカ側は『陸上戦力は、アメリカサイズで10個師団(32.5万人)を持ちなさい』と言ってきました。ところが日本は、もともと経済支援が欲しくて受けたので、自分で防衛努力をする気はなかったのです。MSA法の趣旨は、反共相互防衛援助なのですが、日本はこれには余り真剣に取り組まず。残りの3協定、すなわち余剰農産物購入協定、経済措置協定、投資保証協定が日本の狙いだった。しかし、やらないとはいえないので、『ついては半額にしてください。32万のところを18万にしてください。』と池田・ロバートソン会談で提案した。
そんな都合のいいことをどうやって説明したかというと、『わが国は憲法上の制約に就き、国土防衛戦しかしません。そのため兵站の補給・整備・輸送は、民間力を使って出来ます。だからアメリカの師団編成で言う、後方ユニットは軍で持たなくても民でできますので、そこを削ると10師団が18万でできます』と言って、自衛隊ができたわけです。これによって、日米安保条約も締結することになります。
経済支援がほしいために、物的証拠である自衛隊は作らないといけないので半額の偽軍隊を作って、実質的安全保障は日米安保条約を結んで、アメリカにやってもらう事にしたのです。
もし、日本が本気で防衛努力をしようとしたのならば、半額にした自衛隊の後方支援能力、例えば民間輸送能力などを、自衛隊が運用できる仕組みにしていなければいけないのですが、そのような仕組みは今でも無いのです。
さらに有事法制も整備しませんでした。自衛隊法は自衛隊を作るために作りましたが、有事法制はありませんでした。有事法制がないと、防衛自体で日本の国としては動けないんです。作っていなかったというのは、自衛隊を運用する気がなかったわけです。ところが、昭和52年(1977年)、来栖弘臣統合幕僚会議議長が、「敵が攻めてきたらどうするのでしょうか」と聞かれて、「有事法制が無いのですから、現場の指揮官の独自の判断でやるしかない」と、超法規的発言をしてクビになった。それで、はじめて公に日本には有事法制がなくて、“自衛隊は見掛けは立派だけど、実際には動けないんだ、動く仕組みがないんだ”と報道され、福田赳夫総理があわてて有事法制の検討を命じたのです。その検討指示はどういうものかというと、「答えは出すな、検討はしろ」というものだったのでしょう。その後30年近くも有事法制は整備されなかったのですから。その間、有事法制はないまま、自衛隊は、侵略があっても何もできない状態でずっと来たのです。
そして平成15年(2003年)に、有事法制がちょこっとできました。あれは何でできたのかというと、対ソ戦略という前提が無くなったわけですから、冷戦構造が崩壊して、日米安保の意味は事実上無くなりました。そこで、冷戦後の日米安保の見直しをアメリカ側から要求され、リチャード・アーミテージ国務副長官が、「いいかげんに有事法制を作れ」という趣旨を、2000年10月にアーミテージ・リポートに書いたのですよ。これも、自分で有事の際に動くための法律を作ろうと言って作ったのではないのです。構造的には、アメリカに作れと言われたから作ったのです。そういう政治的構図になっているのです。ですから、防衛省も自衛隊も、自国の防衛を積極的に企画運用しようという意欲が出てこないのです。
そんな日本でも、国民レベルで危機感をもったのが、北朝鮮の1994年の核開発と、1998年のテポドンが日本上空をすっ飛んでいた時でした。あの時は、国民レベルで『これは危ないな』と感じたのですが、その時何が起きたのかというと、1994年の核開発の時にもアーミテージが主体で、「北朝鮮が核開発したらレッドラインを超える。次は軍事事態だ、アメリカはやる」といって、日本は心配しなくていいけど、周辺事態は日米安保条約上微妙だから、周辺事態法を作りなさいと言われたのです。結局できたのは、アメリカが欲しかった相互物品供与(ACSA:Acquisition and Cross-servicing Agreement)ができる法律です。
テポドンが飛んだ時も、構造は一緒なのです。たかだか北朝鮮を相手に、日本が独自で防衛できないはずはないのです。しかし、今度は米国からBMD(Ballistic Missile Defense:弾道ミサイル防衛)を供与するということで片がつきました。情報共有とBMDシステムの売買が目的でした。日本が独自開発していたBMD技術も、日米共同技術で持っていかれて、アメリカは日本が開発したBMD技術を、今度はヨーロッパに売ろうとしています。でもそれは共同開発ということなので、現在「武器輸出三原則を見直せ」と言ってきているのです。久々に、日本が国際武器市場で使い物になる技術を開発したのですが、これを米国が売るために武器輸出三原則を外しなさいといってきているのです。
このように、戦後日本政府は、自衛隊創立当初から、米国をだまし日本国民をだまし、あたかも日本の安全は保たれているかのような錯覚を構築してきたのです。防衛関係で、できる法律といえば、それはアメリカの要求に沿った法律だけで、日本の自衛隊が具体的に活動する法律は出来ないのです。これが日本の防衛の現状で、最大の問題なのです。これは日米条約があろうとなかろうと、自国の防衛に関しては日本が自主的に動ける仕組みを作る事は、絶対大切なのです。まず日本は、自分たちでここまではやろうと自主的に動いて、ついてはアメリカに何を要求しようかと、いった順番で考えなければいけないのです。
そのようにやらないものだから、普天間にしても何にしても、ここの在日米軍機能を日本はどのように位置付けているのかという事がないために、沖縄の人たちが背負う負担と、米軍基地が存在する必要性の比較が具体的にできない。
さらにいえば、日本国土で米軍が作戦するときに使用する地域の住民の負担はどうなのか。それは、沖縄の人たちが背負う負担なんかよりよほど深刻なものですからね。
そういうことすらやらず、“アメリカにお願いします。自分では何もやりません”となっているので、反対住民を説得する術も持っていないし、アメリカにも強く言えないのです。

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