元自衛官 荒谷 卓

自衛隊は拉致被害を救出できるか

『祖国と青年 7月号』より
◆「拉致と国防に関するシンポジウム」§

 ――「予備役ブルーリボンの会(RBRA)」は、自衛隊OBや予備役自衛官など自衛隊関係者で構成されるという、拉致被害者救出を目的とする団体の中でも独特な性格を有しています。一昨年八月に発足し、代表の荒木和博氏は予備自衛官で、顧問には荒谷さんの他、前航空幕僚長・田母神俊雄氏も名を連ねています。ブルーリボンの会の趣旨、活動についてお話を伺いたいと思います。
去る五月二十三日、拓殖大学文京キャンパスで予備役ブルーリボンの会主催「拉致と国防に関するシンポジウム第二弾――誰が戦い、何を守るのか」が開催されましたが、当日はどのような議論になりましたか。

 荒谷 第一段は昨年十二月、櫻井よし子さんをお招きし、「如何に救い、如何に守るか」というテーマを掲げて行ったのですが、今回は「家族会」事務局長の増元照明さん、荒木代表、矢野義昭副代表、田母神さん、そして私の五名がパネリストとしてシンポジウムを行いました。
産経新聞には、自衛隊OBの意見として、矢野副代表が「自衛隊を動かすのは難しい」と述べ、一方、田母神さんが「日本の総理が決心しさえすれば、自衛隊が拉致被害者を救出する態勢は三〜五年で整えられる」と述べたことを紹介し、「意見が微妙に分かれた」と書いていましたが、私は田母神さんと同意見です。私も当日、「日本の意志」の問題についてお話ししました。
そして、増元さんからは、外務省には情報収集のための外交機密費があるのに、大使館で高級なワインを飲むお金はあっても、拉致問題に関してただの一円も使ったことがないということを、堂々と外務省の人間が言っている、というような話がありました。
総じて、日本国民が拉致されているという事実を認識しながら、何もしようとしない国のやる気のなさ、いかに国がやる気がないかということについて、それぞれの視点から指摘されました。荒木代表が自ら特定失踪者問題調査会を作っているのも、「国に期待してはだめだ、大事なことは民間でやる」ということで、そのあたりが、政府を動かして拉致被害者救出につなげようという「救う会」と、少しスタンスを異にしているかもしれません。我々は政府に何かしてもらおうというのではなく、「我々が直接何をするのか」というところで活動する。そこが予備役ブルーリボンの会の特徴だと思います。

◆ 自衛隊は拉致被害者を救出できるか§

 ――率直に言って、現在の法制下で自衛隊が拉致被害者を救出する、ということは可能なのですか。

 荒谷 今の法制下では全く不可能です。実はその点について、私はシンポジウムでも提案したのです。
法律を整備するやり方はいろいろあると思いますが、一つは、平成十八年に「拉致問題その他北朝鮮当局による人権侵害問題への対処に関する法律(北朝鮮人権法)」というのができました。その第七条に、「政府は、拉致問題その他北朝鮮当局による日本国民に対する重大な人権侵害状況について改善が図られていないと認めるときは……必要な措置を講ずるものとする」として、特定船舶の入港の禁止とか、為替、貿易の制限といった項目があるのですが、そこに「拉致被害者救出措置」「拉致被害の防止措置」「既に起こった事件についての調査・情報活動」という三項目をプラスすればいいと思います。
そうしますと、救出措置、防止措置、情報措置のそれぞれについて、これを関係各省庁の所掌事務として関係する法律の中にも入れていかなければなりませんから、そこで自衛隊法を改正すればいい。例えば、自衛隊法八十四条の三に「在外邦人等の輸送」とあるのを「邦人の救出」に変えるとか、拉致被害の調査活動にも自衛隊が入れるような法律規定にするとか。
なぜ自衛隊法より先に、北朝鮮人権法の方を変えるべきかといいますと、北朝鮮人権法は各関係省庁にまたがっているからです。自衛隊法だけだと、他の省庁が何も動かない。ですから、先に人権法に項目を加えて、それをやるために、では自衛隊は、警察は、経済産業省は、外務省は、とやっていった方が実効性があります。後は予算をつければいい。
法律の根拠と予算さえつけば、救出のやり方はいくらでもあります。「やれ」という指示と必要な予算、それから関係省庁の協力体制があれば、間違いなくできます。法律に基づいて国として「やる」という意志が固まれば、できるということなのです。
私も自衛隊にいて、「特殊作戦群」という部隊を立ち上げた経験がありますが、まともな自衛官であれば、国が「やる」と決心さえすれば犠牲を払ってでも奪還してきますよ。でも、政府からはそういうことを検討している気配すら感じない。そこが一番の問題です。

 ――昨年八月には、新潟市の海水浴場で北朝鮮工作員侵入・拉致のシミュレーションが行われました。

 荒谷 このシミュレーションでは、北朝鮮の工作員がどのようにして日本人を拉致したのか――車へ対象者を引きずり込む、袋をかぶせて対象者の抵抗力を失わせる、ゴムボートに拉致被害者を載せて沖で待機する工作母船に向かう、といった手口を実際に行ってみました。
日本人が拉致されたという事実が確認されたのですから、ではどうやって拉致されたのかということを普通は調査するでしょう。しかし、それを警察もどこもやらない。だから、予備役ブルーリボンの会としては、まずそこからやりましょうと。
元工作員の安明進は、「学生の実習で日本人を拉致しにいく」と言っていました。つまり、一人前の工作員になる前の練習だというのです。日本に潜入して捕まったって、どうせ不法入国で帰してくれるのだから、リスクが少ない。失敗して教官に怒られる方が怖いぐらいのものでしょう。
では、見習い学生ではない本物のプロの工作員だったらどうするか。見習いでもできる拉致などはせずに、政治や経済、治安、情報、インフラ等を対象として、自分たちの手足となるような人物をつくるような中核的工作活動をするでしょう。しかも、拉致した実行犯も協力者も今まで一人も捕まっていない。ということは、今でもそのまま日本にいるわけです。そのことも誰も考えていない。
拉致がどのようにして行われたのか、それから目に見えている拉致以外に、一体どのようなことが考えられるのか。本当は国がやるべきところですが、やらないので、これからも我々でシミュレーションをどんどんやっていこうと思っています。

◆ 韓国哨戒艦「天安」沈没事件と韓国の対応§

 ――三月二十六日、黄海の北方限界線付近で韓国海軍の哨戒艦「天安」が沈没した事件について、韓国国防部は五月二十日、北朝鮮の魚雷攻撃によるものであったと公表し、さらに六月四日には、李明博大統領がこの問題を国連安保理に提起しました。この一連の事件について、どのようなことをお感じになっていますか。

 荒谷 この「天安」の沈没事件について、李明博大統領が北朝鮮の攻撃による撃沈であるという認識を示したことは、国際的には非常に重要な意味を持つと思います。
いわゆる軍艦が敵軍の攻撃を受けたということを、受けた側の国が公表するということは、すなわち自衛権が発動されることを意味します。国際慣習的には、自動的に自衛権に基づく反撃が可能となり、極端なことを言えば、自衛権を正当として戦争することも可能になる。事実関係ということも大切ですが、要は被害を受けた側がどういう認識を示すかが国際政治では意味を持ちます。その意味で、今回大統領が「北朝鮮による攻撃だ」という認識を自ら示したというのは、重要な点です。
そうしますと、仮に今後北朝鮮との間に類似の事件が起きて韓国が自衛権を発動する、あるいは国連に提訴し、国連憲章五十一条に基づくという大義を得て、自衛権を行使するということになれば、米国は韓国の立場を全面的に支持すると言っているわけですから、アメリカは米韓同盟に基づいて、当然軍事的に参入することになるでしょう。
そうなると日米安保条約に基づいて「周辺事態」になって、今度は日本が試されることになります。ここに至って日本が周辺事態という認定をしなかったならば、あるいは、認定はしても約束した行動をとらなかった場合は普天間どころの騒ぎではありません。日米同盟の信頼性は決定的に瓦解します。
ということを考えますと、鳩山総理や岡田外相は「韓国を全面的に支援する」と言ったわけですが、本当にそこまで見据えて言ったものなのかどうか。韓国側を全面的に支援するという意味合いの中に、軍事的な事態まで想定した上で、そうなったら「周辺事態」と認定し、日本も事実上参戦するという覚悟で言ったのか。普天間の対応などで「学んでいくうちに抑止力が分かった」などと発言しているのを見ていると、どうもそうは思えない。しかし、国際社会は日本政府の発言を、「仮にそういう事態になったら、日本は軍事的な活動に踏み込む」という意味に受け取っていると思います。その意味で、日本側の発言も重要な意味を持っています。
一方で、仮に、日本の海上自衛隊の艦艇が同じように、中国の潜水艦なりに何らかの理由で攻撃を受けた場合、日本政府として、韓国と同じように事実認定をできるかどうかということも、考えておかないといけない。天安の事件そのものの今後の成り行きということ以上に、日本の政府の思考の範囲に軍事的な事態を常に考慮して政治を決断しているかという、そこのポイントが大変重要だと私は思っています。

◆ 軍事的な選択肢が欠落した戦後日本§

 荒谷 戦後の日本の政治というのは、軍事に関する発想がすっぽり抜けています。軍事的な対応に自らが関わっていくという発想そのものが、政治的な選択肢から欠落していて、その種の事案があったときも、経済的にどうなのかという範疇でしかものごとを捉えていないのではないか。だから、今回の件でも、韓国にしろアメリカにしろ、北朝鮮と戦争をしたいとは思っていないと思いますが、しかし、ああいう発言をする以上、当然軍事的な事態の展開ということは視野に入れて、そして国際協調を取っているはずです。それに対して、日本は、軍事的な事態というのは眼中になくて、ただ「国際協調が大事だ」と言っている。
拉致問題の最大の問題も、実はそこにあるのです。平成十八年に北朝鮮人権法ができて、その第二条には「国は、北朝鮮当局による国家的犯罪行為である日本国民の拉致の問題を解決するため、最大限の努力をする」と書いてあるわけです。ならば、「最大限の努力」の中に、軍事的な選択肢があって然るべきです。やるやらないは別として、少なくとも主権国家である以上、思考の範疇の中にそれがなければおかしい。ところが、そういう議論も、発想も出てこないのです。我が国としてやっているのは、特定の船を港に入れないとか、為替、貿易の制限ということだけで、後は日米安保に基づいてアメリカにお願いしますと。
ところが、最近、リチャード・ローレンスという、ブッシュ大統領時代の国防副次官達がまとめた「期待を満たさない日米同盟の管理(Managing Unmet Expectations in the U.S.-Japan Alliance)」というレポートが世界に出まわって、日本でも翻訳されて出ています。
彼は、在日米軍再編実施のための「日米のロードマップ」をつくった時の中心人物でした。そのローレンスが、レポートの中で何と言っているか。
日本という国は、自分の国を自分で守ろうとしない不思議な国で、こんな国は世界中探しても他にない。安全保障に関して完全に米国に頼っていて、自分では何もする準備がない。何も準備ができていないから、日米同盟を深化させようとしても、できるはずがない――こう言っているわけです。つまり、アメリカはどこの国に対しても、自国を守ろうとする、その努力をするという前提でしか同盟を結べないわけです。しかし、日本はその前提に適合していない。つまり同盟国、パートナーとして相応しい条件を満たしていないと指摘されたということなのです。
このローレンス・レポートは、自民党政権時代のことについて書いているわけですが、ちょうどそのレポートと時期が重なって、今回の民主党政権の普天間問題が出てきました。それまで世界は、日本の憲法九条などは関心がないので「当然日本は独自の軍事的努力をしているだろう」「核も持つのではないか」などと心配していたのでしょうが、ローレンス・レポートで、本当に何もやる気がないのだということが中国をはじめ世界的に知られてしまった。そして、普天間の問題で、このレポートを裏付けるような日本の対応が目の前で展開されてしまったわけです。私は、これは結構深刻な話だと思っています。

◆ 明治陛下が今の世をご覧になったら§

 ――荒谷さんは一昨年前まで自衛隊にいらっしゃったわけですが、自衛隊内では拉致問題はどのように受け止められているのでしょうか。

 荒谷 何もないです。拉致問題に該当するような任務規定はありませんから。現在の日本は、自衛隊も含めて各省庁は法律上に定められた縦割りの所掌事務の規程に従って業務を遂行します。それを逸脱してはいけないのです。
特殊部隊でも、任務規定がない以上は関与できないわけです。普通の国であれば、政府としては、テロ対処部隊に対し、少なくとも専門的意見は求められるでしょうがね。
法治国家としては、政府が指示しない以上、拉致問題は検討の対象にもならないのです。しかし、私は心情的にはそれが正しいとは思えませんでした。
そもそも、戦後日本に憂いを感じていた私は、大学生のときから明治神宮至誠館に通っておりました。そこで島田和繁先生から『貴様は軍人の顔つきをしている。自衛隊に行け』といわれて陸上自衛隊に入隊したわけです。当時の自衛隊は、何か戦後の不要なお荷物のような社会的扱いを受けていたこともあって、どうも卑屈な雰囲気がありました。しかし、私は葦津珍彦先生や稲葉稔先生の感化を受けていたものですから、自衛隊が全うになったらこの国は全うになると思って、毅然とした態度で努力してみようと思いました。
航空自衛隊はロシアの飛行機が領空侵犯すれば対応するし、海上自衛隊もシーレーン防衛などの任務が平素からありますが、陸上自衛隊だけは災害派遣を除くと仕事がないわけです。カンボジアのPKO活動を機に、ようやく海外活動などを少しずつやるようになって、平成十五年からはイラク復興支援で、初めてPKOではない、多国籍軍という形で出ていきました。ところがご承知の通り、憲法の規定により軍隊としての活動は許されないということで、様々な制約が課せられました。他国の軍隊からは『お前たちは本当に軍隊か』と嘲笑されながらも、日本人としての真心で現地の人たちには高く評価されてきました。しかし、現場サイドが耐え忍んで努力しても、肝心の『政治の意思』が変わる気配がない。とにかく、真っ当な意見を通すのに、大変な労力を必要とするわけです。そういう意味で、まともな武力集団である特殊作戦群創設に懇親のエネルギーを使いました。これ以上つまらぬ合意形成に加担すれば志が通らないと判断し、二十年八月に退官したわけです。

 ――その後、明治神宮の至誠館の師範を務められ、昨年十月に館長になられました。

 荒谷 私にとっては、明治陛下が今の世をご覧になったら何とおっしゃるか、というのが最大のよりどころなのです。
拉致問題についても、横田めぐみさんの事件が国民の耳に触れてから、政府が認めるまでに相当時間がかかりました。政治家の中には、そういうことに心が痛まない人もいるのかもしれませんが、陛下が、国民がそうやって北朝鮮に連れ去られたことに、どれほど御心を痛めておられるか、その陛下のお心持ちを臣下として拝察申し上げれば、何もしないでいいということにはならないはずです。
それが、君と臣との関係だと思います。近代政治というのは、国の利益関係とか算盤勘定で行われますが、しかし、日本は違うのではないですか。陛下の大御心をわが心として、臣下の者はそれぞれの務めを果たす、というのが日本の国のあり方だと思います。一般の市民には、陛下の御心を安んじ奉るために、北朝鮮に拉致された日本人を速やかに取り返すということは非常に困難ですが、軍人にはそれができます。ですから、自衛隊が真面目にそういうことを考えないことも、大きな問題だと思っています。

◆ 主権国家としての「意志」を持つ日本に§

 ――荒谷さんは、「『内なる敵』の存在こそが、拉致問題解決のための最優先課題である」と述べていますが、その「内なる敵」とは何か、もう少し詳しくお聞かせ願えませんか。

  荒谷「家族会」事務局長の増元さんは、「拉致被害者が救出されたとして、何十年という人生を無駄にした姉に対して、自分は何と声をかけるだろうか。姉のその三十年は決して無駄ではなかった、姉が拉致されたことで戦後の日本が再生するきっかけになったんだと答えてあげたい」と言われていました。
拉致問題の意味というのは、単純に拉致された人を救出するということにとどまるものではありません。もちろん、それ自体非常に大事なことなのですが、拉致被害者を救出するという動きが国民レベルに広がり、それを受けて国が動く、そのときに初めて日本は主権国家として自立した意志を持ったといえるのではないかと思います。日本は戦後、いわゆる主権が侵害されていることに対して、自ら立ち上がって活動するということを、一度もやったことがないのです。領土にしたって、「北方領土を返せ」とか「竹島はわが領土である」とは言いますが、言っているだけで、真剣に取り返す措置は何一つしていない。
政府に拉致問題の対策室はできましたが、やっていることはほとんどが広報です。北方領土問題も大々的に政府でやっていますが、殆ど広報費でしょう。実行するための予算としては、たぶん何も使われていないと思います。ですから、拉致問題でもしアクションを起こせば、それは戦後の日本にとって画期的なことです。主権国家として、初めて国家らしい意志と行動を示すという、非常にシンボリックなことになると思います。
そもそも、人間が持つ個々の権利の中で最も重要なものは、「生命、安全の保全」ということです。その人権の一番大事なところを国家が取り上げておきながら、それを行使しないというのが戦後日本の状態です。基本的人権を有する個々の市民が、武器を執って拉致被害者の救出のために戦いたいといってもそれは国家が許さない。それは、国民の人権が他国に侵害されるようであれば、市民一人一人に変わって国家として主権を行使し、国民の人権を回復するという前提で、一人ひとりの戦う権利を国家に委譲しているからです。
ところが、その主権を、その国家が行使しませんよといっている。国民の最も重要な生命の保全のための手段を剥奪しておいて、それを国家は行使しない。こんな重大悪質な主権侵害国家ってありますか。何か国全体がそんな空気だから、外国人地方参政権についても、「税金を払っているんだから、参政権を与えてもいいんじゃない」などという。国民の生命、安全、幸福の権利を国民全員で守り抜くべき主権国家が、会費を払えば発言権がある会費制の倶楽部みたいなことになっているのだと思います。
国家というのは、そんなものじゃない。国民の誰かに何かがあったときに、他の人間もその主権を侵害された人を守るために、武器を手にしてみんなで守るというのが、国民国家の仕組みです。敵国が攻めてきても反撃しないというのだったら、これは主権国家ではありません。今の法体系は自然権の発想だから、あえて自然権の発想でいえばそういうことになります。

◆「やらないのだったら自分がやる」運動を§

 ただ、日本的な発想からいえば、神武天皇の建国の詔に「八紘為宇」という言葉があります。要するに、天の下に家のような国をつくろうという意味です。「国家」というのは「家のような国」で、家族の一員が不当なる扱いを受けているのであれば、同じ家族としてこれは許さない。親たる天皇陛下が、子である国民が拉致されていることに、どれほど御心を痛めていらっしゃるのか、ということに家族の者が気づいたら、お父さんが悩んでいる問題をみんなで力を合わせて解決しようと。そっちの方が私は日本的だと思います。
今の日本人は、日本人拉致のような問題を、政府に「解決してくれ」と頼むわけです。すると、政府はアメリカに「解決してくれ」と頼む――この構図はよくないのです。このよくない状況を打開するには、「頼まない」「やらないのだったら自分がやる」と。これしかないと思います。
この拉致問題を通じて、「人に頼まない」「自分たちでやる」という運動を展開して、自分が正しいと思うことを自分でやっていくのだという意識が国民レベルにも浸透していき、その結果として、政府が「分かった。国でやるから」と言ってもらうのが一番いいと思います。国民がそこまでやる気になったら、国としてやらざるを得ないと。そうなって初めて、日本は自立した国家として再生できる気がします。
憲法改正の問題も、ただ概念で「憲法改正」と言っていても、切羽詰まった現実といいますか、目の前にある何かが動かないと、たぶん今までの繰り返しだと思います。何か具体的な動きがあって、初めて必要な法律をつくる。その動きがもっと大きくなっていったとき、法律では間に合わなくなって、初めて「憲法を変えるしかない」ということになるのだと思います。
(六月九日インタビュー)

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