予備自衛官 葛城 奈海

石垣から見た日本の防衛

青林堂『JAPANISM』01号より

  「自衛隊は帰れー」
「平和な島に自衛隊はいらなーい」
「ごくつぶしー」
これらは、平成21年3月3日、海上自衛隊のイージス艦あたごが石垣に入港した際、小舟に乗り移り、私服で上陸してきた若い隊員たちに浴びせられた言葉の数々である。手に手にプラカードやのぼり旗を持った数十人の市民、(彼らの多くは隊員たちの親世代であった。言葉に沖縄訛りのない人が多く、純然たる市民であるかは疑問)が、陸に上がる隊員たちを待ち受けていた。これに先立つこと半月、2月19日には、掃海艇2隻が同じく石垣に寄港、その際にも同様のデモが行われた。のぼり旗には、日本共産党、社民党、9条の会、沖教組、高教組などと書かれていた。
そもそも革新系が強かった石垣では、先代の大浜長照市長の時代まで長く自衛艦の寄港は叶わなかった。それが、昨年中山義隆市長に代わり、今回の寄港実現に至った。それ自体は喜ばしいことであるが、現実に隊員たちを待ち構えていたのは、これらの「熱い」歓迎だったのである。
「平和な島」というが、よく考えてみてほしい。虎視眈々と中国が狙っている尖閣諸島に一番近い島である。ということは、仮に尖閣が中国の手に落ちれば、次に狙われると言っても過言ではない。目と鼻の先にまで危機が迫っている現実が、彼らには見えないのであろうか。仮に百歩譲って軍事的な意義を抜きにしても、例えば、東日本大震災のような災害が起きたとき、時に被曝のリスクすら背負い、自らの身を危険に晒すことを厭わず被災者を捜索・救助にあたる自衛官の姿は、彼らの目にどのように映っているのであろうか。ましてや、彼らが被災者の立場になったとしても、「お前たちに用はない」と一貫して言い張り続ける自信はあるのであろうか。私には、到底そうは思えない。

 話は遡るが、昨秋に起きた尖閣事件を機に、私は「やおよろずの森」という民間団体を立ち上げた。「日本の美しい自然、文化、伝統を後世に残すためにさまざまな活動をしていく」ことを謳っているが、根っこのところでは、船長釈放によってその欺瞞が白日の下にさらされた戦後体制を終わらせ、真の日本らしさを取り戻すことを目標としている。会の名には、一木一草にも神が宿るとして八百万の神々に感謝と畏敬の念を抱きながら自然と調和した社会を営んできた日本の文化を誇りとし、後世に残したいという思いと、天照大神が天の岩戸にお隠れになり、国の内が闇に閉ざされたとき、八百万の神々が知恵と力を出し合って光を取り戻したように、国を思う者たちが集い、知恵と力を出し合って、日本を覆う闇を祓い、再生しようという思いを込めた。
5月とも6月とも言われる中国漁船団の尖閣襲来に備え、最初の活動拠点を石垣にすべく、2月初旬からスタッフひとりが石垣に常駐している。冒頭の自衛艦寄港に際しての反対デモの様子を撮影してくれたのは、そのスタッフだ。
かくいう私も2月中旬、初めて石垣を訪れた。目的は、ふたつ。
ひとつは、戦時中、尖閣諸島で米軍の爆撃により遭難した疎開船の遺族にインタビューすること。そして、もうひとつは、離島の島々に流れ着く漂流ごみの調査をすること。
前者については、ロシアに実効支配されている北方四島にさえ慰霊に行けるにも関わらず、国が「領土問題はない」「日本の領土」と明言している尖閣諸島に慰霊に行けない現実を、ご遺族の口から語って頂くことで、まずはその事実を多くの国民に周知してもらい、堂々と日本人が訪ねられる島にしたいと思ったことが動機になっている。
結論からいうと、残念ながら、インタビューはできなかった。理由は、@大変な辛酸をなめる体験だったので、それを語りたくない人が多い A遺族も高齢化し絶対数が減っている上に石垣在住となるとさらに限定される B昨今の複雑な政治情勢を鑑み、いろいろな意見がある尖閣について表だって発言することは避けたい、というものであった。しかしながら、「尖閣に慰霊に行きたい」という思いは遺族一同のものであるので、それは大いにアピールしてくださいとの言葉を頂いた。
遺族が慰霊に行きたいというのは、ごく当たり前の感情であろう。それを表だって語ることが憚られるような風潮が、この島にはある(石垣に限ったことではないと思うが)のだ。尖閣に行けないからと石垣に建立された慰霊碑にお参りをさせて頂いたが、その横の碑文には、本来民間人満載の疎開船を爆撃した米軍に対して向けられるべき怒りの矛先が日本軍に向いていることを感じさせる文章が刻まれていたし、港にほど近い公園には憲法9条が彫りこまれた大きな石碑が黒々と鎮座していた。同調圧力というのだろうか、根は深いが、こうした風潮自体を変えなければとの思いを強くした。
もうひとつの目的であった漂着ごみの調査については、石垣島と小浜島を回り、一定の成果を得た。数多くの団体がしばしばボランティア清掃を行っているお陰で、人目につきやすい海岸は、まさに「南海の楽園」の如く美しかったが、その一方、人がなかなか立ち入れない場所ほど、ペットボトル、ブイ、発泡スチロールをはじめ薬品の瓶、肥料袋、のぼり旗などなど多くのごみが流れ着いたままになっていた。中でも、「聖なる場所」としてみだりに人を立ち入らせない入り江は目を覆いたくなるほどのごみに覆われ、案内してくれた土地の方は「我々の聖地がこんなにされてしまって」と憤懣やるかたない様子であった。まさに神宿る八百万の森のひとつが静かに冒涜されていたのである。ぱっと見渡しただけでも、中国語かハングルが記載されたものが多かったが、実際、「第三回 海ゴミ・サイエンスカフェ 石垣」で発表された、石垣島平野海岸のペットボトルの国籍別内訳(平成 20 年 2 月)は、中国 49.2 % 台湾 23.1 % 香港 1.5 % 韓国 9.2 % マレーシア 1.5 % インドネシア 3.1 % シンガポール 1.5 % 不明 4.6 % 日本 6.2 %と、中国、台湾、韓国の3カ国でその8割を超えていた。
我々としては、まずは活動のはじめとして地主さんとの出会いを得た聖地でごみ拾いを行い、ゆくゆくはこうしたムーブメントを尖閣にまでつなげたいと思う次第である。
さて、話を自衛隊に戻す。3月11日に発生した東日本大震災では、日本は未曽有のダメージを受けた。本稿を書いている15日現在、時間を追うにつれて明らかになり、その数を増していく死者・不明者数の尋常でなさ、生き残った被災者には援助の手が行き届かず、飢えと寒さと物資の不足に苦しむ姿、福島第一原発の予断を許さぬ状況に、日本国民は皆、心の中で涙しながら生きているような状況である。予備自衛官である私にも、まもなく災害召集がかかる見込みで、本稿がみなさんの手に届くころ、私は迷彩服を着て現場に出ている可能性が高い。ちなみに、昭和29年に予備自衛官制度が発足して以来、予備自衛官に実任務での召集がかかるのは初となる。「有事もしくは阪神・淡路並みの大震災」に備えて存在しているのが予備自衛官なのだから、事に臨んで責務の完遂に努め、国民の負託に応えるのは本望とするところであり、奮励努力することを心に誓っている。
その一方、ひとつ気がかりなことがある。日本がダメージを受け、日本人の気持ちがこぞって被災地に集中している今こそ、敵意を持つ国からすれば、絶好の「攻め時」だ。中国にせよ、北朝鮮にせよ、(残念なことに、平時からして日本ほどリスクを負わずに攻め入れる国もないと思うが)これほど易々と目的を達することができるであろう「狙い時」はない。
本日、八重山防衛協会、八重山自衛隊父兄会、八重山支部隊友会の手によって、石垣市中心部にある交差点に「東日本大震災 被災地の皆様 頑張れ!! 私達も支援します」という垂れ幕が掲げられた。遠く2,500kmを隔てても、石垣は被災地を忘れていない。こんなときだから、あえて言いたい。我々は、石垣を、八重山を、南西諸島を忘れていないか。