元海上自衛官 伊藤祐靖

頚動脈

 日曜の夕方、ダイビングショップの前にある駄菓子屋で買ったビールをみんなで飲んでいると、ダイビングショップの若者が話しかけてきた
「グレン(仮名)が入院したの聞いたか??」
「知らん。どうした??」
その若者は、首に指をあてて横に引き、首をかき切られる仕草をした。
「エッ、死んだのか?? 入院だろ??」
「生きてる。撃たれたんじゃなくて、ボロ(伝統的なナイフ)で首を切られたんだ??」 
「首をボロで切られたのに生きてんのか??」
「ああ、意識もしっかりしてるよ」
「首を?? 銃じゃなくて、ボロ?? 何処でだ??」
「パレンケ(市場のこと)、アグダオだ」
「誰にやられたんだ??」
「ジョン(仮名)だ」
「何?? ジョビー(仮名)の婚約者のジョンか??」
「何で??」
「狂ってんだ、ジェラシーだろう。それで、グレンが病室に銃を持ってきてくれっていうんだ。あんたにどんな弾がいいか聞いて、買ってきてくれって言ってんだよ」
「何だよ病院で撃つのかよ」
「ジョンが病院に来たら撃つしかないだろ」
「そうか、病室か、3発は、どうせ照準なんかできないでトリガー引くだろうし、周りに人もいるから、高いけどフランジブル弾を3発。4発目からは”とどめ用”で一番安い(鉛向きだしの弾)のでも入れとけ」
「わかった。退院したら銃を教えて欲しいって、言ってたよ」
「俺が、教えなくてもいいだろ、ジェニーで十分だ」
「誰もジェニーに教わろうなんて思わないよ」
「何でだ??」
「何でって、誰だって嫌だろ」
「そうなのか??」
数週間後、グレンは退院し、ダイビングショップの仕事に復帰した。復帰はしたものの、現地警察が殺人未遂程度で真剣に捜査するはずもなく、犯人は未だ行方不明で野放し状態だった。グレンには、簡単な近接射撃とセキュリティーの基本(視界の確保)を教えたが、いつもビクビクして精神的にも衰弱し、周囲の同情をかっていた。
ある晩、いつものバーでみんなが集まって飲んでいた。夜間訓練を終えた私とジェニーは、だいぶ遅れてそのバーに着き、「キニラオ」(酢でしめた生のまぐろ)と「レチョン・マノック」(チキンの丸焼きに酢醤油、唐辛子、カラマンシー(沖縄のシークアーサー)をかけたもの)を、キュウリとレタスと一緒に食べていた。ようやく食べ終わり、飲み始めたが、ジェニーの様子が変だった。海洋民族のくせに夜間潜水が苦手だったジェニーもようやく真っ暗な海に潜ることへの恐怖感が薄れてきて気分が良かったのか、一人でアブソルート(スウェーデンのウォッカ)を早いピッチで飲み始めた。
「あなた間違ってるわよ。寒い国のウォッカは、そこの気候とそこの食べ物に合ってるから、ここで飲んで美味いわけがないとか言ってたけど、美味しいわよ。私は、あんたらが飲んでるラムよりよっぽど好きよ。「キニラオ」(まぐろ)にも「レチョン・マノック」(鶏の丸焼き)にも合うしね」
「…………」
みんな、どうでもいいことで私に絡みだしたジェニーを無視していた。そんなことより、首を切られた時の状況をグレン本人が話し始めたので、みんな夢中になって聞いていた。私もジェニーも何となくその輪の中には入らなかったが、聞いてはいた。
話し終わったグレンが、私に、あの時自分はどうすればよかったのかを聞いてきた。唐突に聞かれた私は、「ん〜〜〜」と時間を稼ぎながらテクニックとメンタルの二つの切り口で説明しようと思っていると、突然、ジェニーが口をはさんできた。
「グレンさぁ、あり得ないのよ、首だけ切られるって、あり得ないのよ」
「でも、俺は切られてんだ」グレンは、そう言って自分の首の傷を指さした。
「あなたは、ナッツなのよ(脳がないという意味)、椅子に縛って、手錠をかけてたって、顎を引かれて肩でも動かされたら、そいつの髪の毛を掴まない限り、そんなところ切れるもんじゃないないのよ」
みんな頭の中で、被害者の立場でものを考えていたがジェニーだけは加害者の立場で考えていた。
「…………」
「あんた立ってたんでしょ、しかも、両手がフリーで使えたんでしょ、そいつのボロ(現地のナイフ)があなたの首に入り込んでいく時にあなたの腕は何してたの?? 」
「…………」
「さばきもせずに、バカみたいに指を思いっきり開きながら「前へ習え」してたんじゃないの。しかも、刃物が首に入り込みやすいように力んで首を堅くしてたでしょ。あんたみたいのは、どんなに訓練しても無駄よ、そういうふうにできてんの、あなたは餌なのよ、何かに食べられるためにいるのよ、あんたみたいのは結婚しちゃだめ。あんたの子供も餌人間だからね。餌人間が増えちゃうとその集落に人間を食べようとする動物が寄って来て面倒よ」
「ジェン、帰るぞ」友達に餌人間とか結婚するなとか言っちゃうジェニーにいたたまれなくなって、連れだそうとした。
「あんたの首を切ったジョンもナッツよ。何で首を縦に切るのよ?? 相手の首まで刃物を到達させたのに頸動脈を切らないバカなんかいる?? 普通は、水平に往復運動して左右とも切るのよ。挙げ句に、トライアングル(のど仏の下)に差し込まないなんて、そんな奴は、まな板に乗ってる魚だって殺せないわ」
「ジェン、行くぞ」
「おかしいのよ人間は、みんな食べて食べられて生きてくわ、狩りのできない“サメ”は餓死、トロい“イワシ”は、ただの餌」
ようやく店から連れ出したが、ジェニーは、別段興奮しているわけでもなかった。
「私の何が間違ってるのよ??」
「間違ってないけど、正しくもない。言いたいことは、たくさんあるけど、俺の中でもまとまらない」
「私もなのよね。私ね、あんたが盲腸になった時に、こいつは、死ぬべき奴だと思わなかったのよね」
「何???? 俺が死ぬべき奴???? よくわかんないだろ、説明しろ」
私は、この1ヶ月前に盲腸になった。ミンダナオ島の消毒機能がほとんどない病院で開腹し盲腸を摘出した。私はその時、感染症を併発しない自分の運に感謝したが、ジェニーは、まったく違う目で見ていたらしい。こいつは、腹を開けて内蔵を取り除かなけば死んでしまうような奴で、こいつを生きながらえさせる手術という行為は自然の掟に背いている…。その時、ジェニーには手術はフェアーじゃないという想いと死なせたくないという想いの葛藤があったという。
ジェニーの感性は、ミンダナオ島でもぶっ飛んでいた。しかし、彼女の言った「みんな食べて食べられて生きていく…」というのは、自然界の当たり前の法則だ。人類は確かに食物連鎖の頂点に居るのかも知れない。しかし、だからといってその法則を完全に無視していいというわけではないだろう。そこに葛藤しているジェニーをみて、バカな奴とは思わなかった。バカバカしい話かも知れない、しかし、日本におけるいじめ問題だって、いじめる者が悪いのか、いじめられる者が弱いのか、いじめられる者を救う行為を止めるべきとは思わないが、いじめられることから学ぶことってだってあるのでは、とも思うし、自然界の法則に逆行しているのでは、とも思う。自然界の法則といえば、科学技術の発展だって、法則に対する挑戦と抵抗なのかもしれない。医療行為にしろ食生活にしろ、冷房、暖房、街の明かり、自動販売機にコンビニエンスストア、確かに便利でありがたい。私自身その利便性を享受している。そして、それは多くの先人の英知と努力の結果だということも知っている。しかし、一方でやりすぎなんじゃないかとも思う。元に戻すこともできなければ、進歩を止めるべきだとも思わないが、何処まで行ってしまうんだろうと考える時がある。どうしていいのかなんて、皆目見当もつかないが、ジェニーと程度は違うにしろ、葛藤する心だけは、失うべきではないと思っていた。



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