元海上自衛官 伊藤祐靖

刃物と拳銃

斬らせて、斬って、動きを止めて、突いて硬直させなさい。

ミンダナオ島に住み着いて間もなく、海洋民族の女性、ジェニーを内弟子にした。彼女の持っている海洋民族の技術を習得したかったのと、友達ができない性格に平時の軍人が忘れがちな何かを感じたからだ。
「ダイビングショップでの給料と同額を保証する。俺のトレーニングパートナーになれ」
「お〜け〜」
「真面目に考えろ。朝は、6時にここに来て、1時間程度走って、水を浴びて朝食をとる。8時からバトミントン、10時から射撃かナイフ、昼食を食べてから、海で潜る。週に2回は夜潜る。できるか?」
「いえす」
少し真顔になってきた。
「3つ約束しろ。まず、弟子である以上、俺はお前に命令をする」
「あんたは、私を殺せるかもしれないけど、ライプは絶対にできない」
(「レイプ」と言ったようにも聞こえたが、まさか女性の口からそんな言葉が出るわけがないと思い、ライプ(熟す)の聞き間違いかと考えた)
「えっ、ライプ?」
すると彼女は眉間に皺を寄せ、大声ではっきりと言い直した。
「レイプよ!」
(「そんな恐ろしい表情されたら、それだけで男は萎える」と思ったが、口にはしなかった)
「そういうこと言ってんじゃね〜よ。……次、時間を守れ。今からインチキ(チャイナタウン)に行って、腕時計を2人分買う」
「ぐ〜〜っど」
「忘れんなよ。すべては俺のためにやるんだ。お前に何かを習得させるわけにやる訳じゃない。俺は、教えたがり先生じゃね〜からな。『厳しいけど、私のためにしてくれてるんだわ』とか、気持ち悪いメロドラマみたいなこと考えるな。だから、泣いても、わめいても手は緩めない」
「どうぞ、私も緩めないわ」
ジェニーは、悪びれずに言った。
その後チャイナタウンに2人で行って、腕時計を買い、分かれた。
翌朝6時、ジェニーは着替えと水がたくさん入ったバックパックを担いで家の前に立っていた。こうして、トレーニングの1日目が始まったが、最初から、衝突した。ナイフと銃の握り方でぶつかった。最初は、やりたくないから、難癖つけて、何とか止める方向にもっていこうとしているのかと思ったが、そんなんでは無かった。
「衝突した」とか「ぶつかった」とか書いたが、正確には、「指導」を受けた。私が現役のころから何となく違和感を抱いたままにしていたことを指摘された。痛いところを突かれた。私には重大なものが欠落していたのだ。
生身の人間を撃ったことがなかった私には、射撃といえば、まだ標的を撃つというイメージが残っていた。一方、ジェニーは、敵意、殺意をむき出しにして死にもの狂いで撃ってくる人の顔面を消滅させることだと当たり前のように考えていた。私は、ナイフでも、ジャングルを切り開くマシェットでも、「斬ってケリがつく」という発想があったが、彼女にはなかった。
「人には2本の手と脚があるのよ、それが、うねって巻き付いて、抵抗してくるのよ、斬ったって何にもならないわ。斬るなんて、相手の動きを一瞬止めるだけのもの、斬らせて、斬って、相手の動きを止めたところにナイフを突き立て、硬直させなさい。そこへ刺し込むのよ。いきなりナイフを差し込もうとしても肉体がうねるから、かわされるわ。それで身体の中に入れたら、かき回して、斬り上げながら引き抜きなさい。斬らせてから引き抜くまで1秒以内よ。ナイフも銃も最後は垂直に人の身体に差し込んで、そのまま上か下かに90度、頭か足の方向に向けて突くか撃つかしなきゃトドメにはならないの」
ジェニーは、残像という形で自分の脳にある実体験をもとに話していた。
こんな奴には会ったことがなかった。今まで何人もの各国の特殊部隊員と話をしたが、内容といえば、銃はこれだ、スコープは○○社製の……、暗視装置は……、防弾ベストは……。確かに道具も大事だが、そんな会話が「ひ弱な坊ちゃんのたわごと」のような気がしてきた。やっぱりな……、これだよ、ナイフも銃も人の身体に差し込んで、そのまま上か下かに90度、頭か足の方向に向けて突くか撃つかしなきゃ、死なない……。刃物はまだしも、銃も銃口を人の身体に接した状態から真下か真上にねじ込みながら撃てと言っている。少しでも遠くから発砲して自分の被害をなんとか……なんて考えは微塵もない。
「そんな握りじゃ、ダンス(素振りのこと)はできても、生き残ろうとする人間の身体を『肉の塊』に変えることなんかできないわ」

物の握り方には、特にうるさかった。「握りができていなければ他のすべてができていても意味がない」と言った。確かにそうだろう、手から刃物や銃が落ちてしまうのでは意味がない。握力を発揮しながら手首も肘も肩も脱力するためにどうするのかを説明しながら、「これを理解すれば、あんたはすべてを理解するわ」と言った。重心と支点、力点、作用点で、手首、肘、肩の位置関係がいかに重要かを説明した。そこには、身体力学と生理学と心理学もあった。こいつは、無考えにやっても、たまたまできてしまうだけの天才でもなければ、自己流仮説を鈍い感性で検証していく「下手の横好き努力君」でもない。生まれ持ったセンスで立てた仮説に理論的裏付けをして実戦でその正否を確認してきたタイプの天才だ。やっぱりこうなんだ。私の知っている世界の一流は、みんなこうだ。学問の世界は知らないが、この業界(特殊戦)でもスポーツでもみんなこのタイプだ。とっかかりは感性だが裏付けには理論を求める。だから説明する時に非科学的なことは決して言わないし、独りよがりの理論も持ち出さない。
だから聞いたその場で納得した。こんな島の、殺すことだけに長けている奴でもそうなのか。競い、争い、戦うという世界にどっぷりとつかりきって、あるべき姿を探し求めてきた42年の人生だったが、ようやくその真の姿を見た気がした。こうして、ミンダナオでのトレーニングは、過去の自分を否定することから始まった。



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