元海上自衛官 伊藤祐靖

振り返るな

  世界中どこの海軍でも、階級は一見してわかるようになっている。水兵はセーラー服、下士官は階級章がワッペンで肩に縫いつけてある。将校は、夏服の白の詰襟であれば、階級章は肩に乗っているし、冬であれば袖に金の筋が巻いてあるからだ。更に夏でも冬でも階級は、細い金筋と太い金筋の組み合わせで、すぐそれとわかるようになっている。 
私は、その日の昼、1年間の幹部候補生生活を終え卒業式から居室に戻った。そして、細い1本の金筋が着いている幹部候補生の制服から、太い1本の金筋が着いた将校の制服に着替えた。
「やっと正門から出られる」入って来るときは裏門からだが、ちゃんと卒業まで辿り着けば正門を使って出て行くことが許される。これは、ほとんど知られていないが、江田島の正門とは表桟橋なのである。入学するときは、陸上の門から入ってくるので裏門からというわけで、卒業の時は、表桟橋から船で出ていくので正門からというわけである。だから、今でもVIPなどが正式に訪問する場合は、海から船でこの表桟橋に到着し、同様に帰路も表桟橋から船で海に帰って行く。

正しい伝統とは、残っている過去の習慣に執着することではなく、現状にそぐわない過去の習慣を壊していくことだと思っている。帝国海軍の習慣には古くて現状にはそぐわないものもあるが、逆に適用できるものも多い。もちろん帝国海軍のものだからといって無条件に“素晴らしい”と思おうとするのは安易で、危険だ。残すべきなのか、なくすべきなのかをそれぞれ十分に吟味する必要がある。現状に適用できると思われるものの一つに「帽を振ったら、2度と振り返るな」がある。これには、5省のひとつである「努力に恨みなかりしか」を本当に実践したかどうかが、その場を去るとき、わかるという意味が込められている。つまり、きちんと実践していれば、スッキリ何の未練もなく、前だけを見て進んでいけるが、そうでなければ「もっと○○すればよかった」などと、後ろを振り向きたくなるということである。

海軍兵学校の時から幹部候補生は、毎日自習時間が終了するときにこの「五省」を唱える。
そんなわけで、幹部候補生たちは、卒業の時、正門から出て行くその瞬間、振り向きたくならないよう懸命に毎日を過ごす。
候補生学校内での生活は3つの柱からなる。鬼が見張っている規則でがんじがらめの生活と、勉学(国際法、国内法、天文学、地文学、英語、ロシア語等々)、そして、体力づくりである。体力づくりは前記したとおり一番きつかったが、評価が低い訳が無く落第する原因にならない。生活も、入学前にすでに水兵として護衛艦にいた私は、自衛隊生活には慣れており、鬼に追いかけられることは殆どなかった。しかし、最後の勉学については困難を極めた。正規入学でなく、マークシートの的中率だけでここへきてしまった私にとって、合格通知を受け取って「めでたし、めでたし」では終わらなかった。徹底的に場違いな場所に来てしまったからである。勉学に付いていけないのだ。そもそも、付いていけるはずがない。同期が努力をしていたであろう高校、大学の7年間、私は活字すら読まなかった。彼らにとっての常識が私にとっては初耳なんてことが山ほどある。7年間のギャップを埋めるため、完全消灯の後トイレの明かりで活字を読み、必死に何かを記憶しようとする夜が続いた。ちょっとの快感と果てしない絶望の中、「あと○ヶ月すれば実践部隊に出られる(卒業できればだが)。そこまで辿り着けば、どれだけ知っているかではなく、知っていることをどう使うかで勝負ができる…」と自分を何とか奮い立たせようとしては、次の瞬間「原隊復帰」かも…と不安に苛まれたりしていた。
「原隊復帰」。自衛隊には教育機関で落第した者を元にいた部隊に返す、「原隊復帰」がある。
「俺はどうなるんだろう…」「むらさめ(護衛艦)電信員に戻るのかよ…」。ここに着校した時、1等水兵の階級章のついたセーラー服から、幹部候補生の階級章をつけた制服に着替えている。7階級も特進したっていうのに、また、元のセーラー服に着替えるのか…?暗く狭いトイレでそうやって絶望に近い心情に陥ることが多くあった。

 たかだか、細い線が太くなっただけかもしれないが、私は、なんとか卒業までこぎ着けたことに充実感を憶えつつ、軍楽隊の奏でる行進曲に歩調を合わせて赤レンガ前を表桟橋へと行進していた。
曲が「軍艦行進曲」から「蛍の光」に変わった。
「おもて離せ〜」小型ランチの船長が船員に出港を指示した。表桟橋から小型ランチが出港する。
「帽振れ〜」その号令に従い帽子を頭の上で3回振った。江田島を離れる時が来た。今から遠洋航海に出る。スッキリと、前だけを見て進めるか。それとも後ろを振り返りたくなるのか? それが問われる瞬間が、とうとう来た。
まったく振り返りたくなかった。「努力に恨みがない」というよりは、「もう、こりごり御免」という思いが強かった。もし、生まれ変わったら同じことをするか?と聞かれれば、間違いなく「する」と答えるが、日体大の1年生と江田島のトイレだけは絶対に嫌だ。

 「さわゆき」に乗り込み、その甲板で潮風を受けながら、様々な思いが去来した。
「やっぱり無理なんだ、どうやっても無理なのか?と何度も思ったけど、とにも、かくにもスタートラインまでは来た…」
「意気込んでここまで来たけど、この大きな組織に俺は何が出来るんだろう…」
「定年までの30年で何ができるんだろう」
その時ふと、ケネディーの就任演説が頭に浮かんだ。
「国が自分に何をしてくれるかではなく、自分が国に何ができるのかを考えよう」

そしてその20年後、「自衛隊にいては、国に何もできない」と考えて退職することになるのである。

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