元海上自衛官 伊藤祐靖

「こいつらとなんか、生きていけるわけがない」

昭和62年3月27日
この日、10時に新宿の募集事務所に出頭し、市ヶ谷から自衛隊のバスに乗って横須賀教育隊へ向かった。今から同期生になるはずの面々といえば、愚連隊風の者、知能障害風の者、軍事マニア風の者がほとんどであった。その面々は、バスの中でそれぞれ不安を隠しながらじっと周囲を伺っていた。今思えば、すでにその中に私が勝手に想像していた「祖国のためになら命を捧げてもいい」風の若者は一人もいなかったが、その存在を固く信じて疑わなかった私はまったく気にもしていなかった。しかし、約2時間後、「横須賀教育隊」に到着し、訳がわからないまま16人部屋を指定され、そこへ集まった面々を見てさすがの私も嫌な予感がした。「なんで、10代の男なのに、目に光もなければ、体からあふれるエネルギーも感じられないんだろう」。
手持ち無沙汰の私は、外階段の踊り場にあるベンチに座った。すると聞こえてきた会話は、
「ここさえ出ちまえば、何にもすることがなくて、楽らしいぜ……」
「免許とかもとれるし、一応国家公務員だもんな……」
予感を飛び越して、現実が一気に目の前に現れた。
耳を疑うとかではなく、目の前にある現実に人生で初めてショックを受け、取り返しのつかない誤りを犯したと、ここへ来てようやく悟った。何を根拠に「祖国のためになら命を捧げてもいい若者」の集まるところと考えたのかは今もって不明であるが、その時に勝手に思い込んだ私は、すべての人が反対する中、次々と退路を遮断してきたのだ。まずは、就職が決まっていた高校の校長に辞意を説明し、期待をしてくれていた陸上連盟関係者にも競技の引退を表明した。決意を聞いた周囲の人々は当然ながら反対したが、反対されればされるほど気持ちは強く固まっていき、「自衛隊には、祖国のためになら命を捧げてもいいと考えている人が多く居る。自分もそうやって生きていく」と気持ちを高揚させてきたのだ。
だからこそ、その自分勝手に決めていたことが、完全に間違っていると気付かされた瞬間は、経験したことのないショックを受けた。どうしたらいいんだろう。今さらどこにも行くところはない。しかし、こいつらなんかと生きていけるはずもない。
自分の運が尽き果てたと感じながら、その後20年奉職することになった自衛隊生活最初の夜を迎えた

<< 戻る  次へ >>