元海上自衛官 伊藤祐靖

特別警備隊準備室

「コンコン」
横須賀の自衛艦隊司令部の3階で、ある一室の扉をノックした。
「入ります」
その部屋の中には、いかにも頭の切れそうな華奢な1等海佐が座っていた。
(この人が特殊部隊の初代指揮官になる人か……。これは助かった)
見るからに根性とか気合とか口にしそうもなかったので、安心した。頑張ることと我慢強いことを否定する部隊をどうしても創りたかった。そんなこと当たり前すぎて、掲げることではない。
防衛庁が初めて創設する特殊部隊は、Warの仕方ではなく、日本が2千6百年培ってきたIkusa(いくさ)の仕方を世界に示す部隊であり、一度出撃したならば全滅を覚悟した、部隊であるべきだと思っていた。だからこそ、その特殊部隊員には、 科学的に裏付けされた最も合理的な方法で作られた肉体と、世界最高の技術と、その任務遂行のためには肉体の消滅をも辞さない死生観の育成が、絶対条件となるわけである。それは、自衛隊の延長線上にある部隊ではなく、日本軍なんだと思っていた。
それが、あの時日本海の真ん中で「航海長、お世話になりました。行ってきます。後はお願いします」とスッキリとした顔で言われた自分がここに居る理由だし、この世に生まれてきた目的なんだと思っていた。

 「申告します。3等海佐、伊藤祐靖、平成○○年12月20日付、特別警備隊準備室勤務を命ぜられ、ただ今着任致しました」

 「君が伊藤君か、話は聞いてるよ」
「はい」
「今決まっている事はな、防衛庁で初の特殊部隊を海上自衛隊の中に創ること。その1期生の教育を今から3ヶ月後に開始すること。教育を開始した1年後にはその特殊部隊が創設され、その更に1年後には実戦配備となること。この3つだ」
「はい」
「君はその部隊創設後は初代先任小隊長となる」
「はい」
「正直言って、何をどうしていいのかさっぱりわからない。人選はどうするのか? 何を教育したらいいのか? 教育できる人はいるのか? どこで教育するのか? 特殊部隊の施設の設計も、どんな装備品を予算要求するのかも何も決まってない。俺たちが決める」
「隊長と私の二人で決めるんですか?」
「明日、もう一人着任する。その三人で決める」
「たった、三人ですか?」 
「そりゃ、海幕にしろ、自衛艦隊にしろ、担当者は決まるが、準備室は三人しかいない」
「たった、三人なんですか?」
「俺は、自衛隊に入って初めて、これは俺にはできないかもしれないと思っている。正直言って投げ出してしまうかもしれないと思っている」
「はい」
(困る。困る。困る。この人に投げ出されたら困る)
頭はいっぱいになり、その後何を言っていいのかわかるわけもなく、沈黙が続いた。

何をしても中途半端でスッキリとすることの無かった自衛隊生活からの離脱と、新部隊創設という希望と、まったく新しい職種の確立に対する使命感で有頂天になって着任したけど、一気に、自衛隊お得意の本気じゃないモードの現実が現れてきた。新部隊創設の事務的処理や特殊部隊のあるべき姿を決定していく業務、いわば、新しい組織作りに関するペーパー上での業務と、その組織において作戦行動を行うオペレーターになるための教育訓練を、同時にしなければならないという無茶な現実を突きつけられたのだ。そのどちらを取ったって、片手間でできるような業務であるわけがない。
特殊戦という概念すらないこの国において、特殊部隊を創設するという業務は、本来ならば、20名位のチームを組み、2年間程度の歳月をかけて、数カ国の特殊部隊の歴史、現状を分析・研究した結果から、そのあるべき姿を導き出すべきものである。そして一方、先任小隊長といえば、現場突入部隊の指揮官である。2年3ヵ月後に実戦配備されるというのであれば、今から2年3ヵ月後には、あの時の「みょうこう」艦長の立場になり、しかも、鋼鉄に囲まれた場所において敵から撃たれることなく、一方的に撃っているどころではなく、北朝鮮の工作船上で銃撃戦をしていることになる。今から実戦配備になるその瞬間までの時間全てを使って、最も効率的な努力をしたところで、その銃撃戦の末に任務を達成するのは、簡単なことではない。
もっとも、何人分もの業務を一人でこなさなければならないということは、自衛隊ではよくある話である。だがそれは、絶対的な結果を求められない自衛隊だからできてしまう芸当であり、例えるなら、試合をすることのないプロ野球チームが、九人だけ揃えて怪我をしない程度の練習をしておけば事足りるのと同じである。
今回の話だけは、今までとは全く違う。日本人を連れ去っている最中だったかもしれない北朝鮮の工作船が手の届く距離にいて、海上警備行動を発令し、警告射撃を行い、対潜爆弾を投下し、日本人を連れ戻すために乗り込もうとした。その結果は、結局逃げられた。これは、歴史上の出来事でも仮定の話でもなく、ついこの間、私の目の前で起きた事実である。だからこそ創設する特殊部隊であり、言うなれば、いつでも試合をして、絶対に勝つプロ野球チームを作ろうとしているのだ。それなのに、その最初からいきなり、お得意の「実は本気じゃないモード」なのか。まずは、この体制をぶっ壊さなければならないのか? そうでもしない限り、ここでいくら「一度出撃したならば全滅を覚悟の……」なんて張り切ったところで、何になるというんだ。しかも、本気で創る気が無い奴らなんだから、本気でその部隊を使う覚悟すらないかもしれない……。
しかし、何になろうとなるまいと、どこのどいつに覚悟があろうとなかろうと、「お世話になりました。行ってきます。後はお願いします」は私の鼓膜から消えないし、誇らしげに北朝鮮方面に消えて行った工作船は、この網膜から消えることはない。であるならば、何が何でもこの部隊を創らなければならない。創ってから、この体制を壊す。その後に国境の外側との勝負があるのだろう……。
そして、どうすることもできない憤りと同時に、この隊長の言っている、「投げ出してしまうかもしれないと思っている」という言葉の重い部分も、はっきりとわかってきた。今まで会ったこともないような、エリート街道を真っ直ぐに突き進んできて、防衛庁の奥深くまで知っている、この隊長が言っているんだ。どだい無理なことをしようとしているのかもしれない……。現実は、小説みたいにハッピーエンドで終わるわけじゃない。「何が何でもこの部隊を創って……」という奮起と「どだい無理なことなのかもしれない……」という現実が、ぐるぐると頭の中を廻っていた。

「まあ、今日ここで今から考えてもしょうがないだろう」
「そうですね」
「飲み行くか」
「そうしましょう」

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