元海上自衛官 伊藤祐靖

「お世話になりました。行ってきます」北朝鮮工作母船追跡事案(第8話)

 眩んだ目が再び闇に慣れてくると不審船が見えてきた。
「セーフ」
そう呟きながら、自然に両手は野球の審判がするセーフのようなジェスチャーをしていた。パーフェクトな射撃だった。不審船のピッタリ後方200mに着弾したように見えた。
「主砲撃ち終わり、砲中弾なし、発射弾数1発、人員武器異状なし」
砲術長から口早に射後報告が来た。
艦長の表情は、一変していた。大きなハードルを越えてしまい、「行け、行け」になっている。これが人間だ。当たり前だ。補佐しなきゃ。補佐しなきゃ。俺は一緒に「行け、行け」になるわけにはいかない。

 「次弾、着弾点、前方ふたひゃ〜く」
「調定よし」
「撃ち方はじめ」
「次弾、着弾点、後方ひゃく」
「調定よし」
「撃ち方はじめ」
「次弾、着弾点、前方ひゃく」
「調定よし」
「撃ち方はじめ」
止まらない、止まらない、不審船は止まらない。くそ〜、止まれ、止まれと思っていたが、ふと、我に返り、あの距離で自分に向かってくる砲弾がどれくらい恐ろしいものかを考えた。以前に弾着点から2000m離れた位置に居たことがあったが、その距離でも砲弾が空気を切り裂いて迫りくる音、弾着した時の破壊音、衝撃波は凄まじいものだった。それが、目の前100mに着弾し、その破壊音と衝撃波の中、巨大な水柱を避けて航行するってどんななんだ。同情を通り越して尊敬に近い感情が湧いてきた。

「あんな奴ら、ぶち当てなきゃ止まんねぇ」
艦長が思わず漏らした言葉にうなずいてしまった。
「止まってくれ! 早く止まってくれないと、弾着点を近づけなきゃならない、当たっちまうかもしれない。頼むからノーミスの射撃が続いてるうちに止まってくれ!」
「まさか、おっさん(艦長)。次に、後方50なんて言いださないだろうな?」
後方200、前方200、後方100、前方100と来ている。順番から言えば50だが、いくら何でも50は、近い。

 「次弾、着弾点、後方ごじゅ〜」
「ご、ごじゅうですか?」そのまま、復唱はできなかった。近くないですか?という顔で艦長を見た。艦長は暗闇でうっすらとしか見えないであろう私にねじ伏せるような視線を送りながら、「後方50」と顎を引き締めて言い切った。
50mと言うとそんなに近くないという気がするかもしれないが、主砲の弾は、銃の弾とは違い、鉛の塊というわけではない。種類は色々あるが、この時使用していた弾は、弾自体が炸裂するタイプのものだった。対象物に貫通口を空けるのではなく、対象物を粉砕しようとして作られているのである。したがって、不審船に当たらずとも、多大な損傷を与える可能性はあった。
「次弾、着弾点、後方50」とヘッドセットに向かって言った。
「ごじゅう〜?!、おいナブ、近け〜よ!50は近け〜、いいか……」
副長と船務長が同時に叫び、50という距離がどれ位危険なものなのかの説明を始めた。
(わかってるし、知ってるよ!! そもそも50なんて、俺が言いだしたことじゃね〜だろ、ここでだってな、俺一人でおっさんを止めようとしてんだよ)
口には出せなかったが言ってやりたかった。

「だいぶ意思は固いです」
艦長に聞こえないようにヒソヒソ声で伝えた。
シーン。……何の応答もない。
「どうなんだよ、調定してんのかよ、へそ曲げてんのかよ、どっちなんだ」
これ以上、ヒソヒソしゃべっていると怪しまれるので、ヘッドセットに向かって、あたかも砲術長からの報告を復唱しているかのように叫んだ。
「後方50、調定よし」
「えっ」
ヘッドセットから砲術長の悲鳴が聞こえた。この時「みょうこう」には、砲術長経験者が5人も居た。艦長、副長、船務長、ミサイル長、そして私自身がこの間まで砲術長であった。全員が砲術長の悲鳴が持つ意味を痛いほど判っていた。しかし、指揮官の強い意志を今ここで曲げさせるだけの根拠がないことを一瞬で理解して貰うためには、これしか方法がなかった。

 「調定よし」が砲術長から来た。その時は、復唱せずにヒソヒソと「了解」とだけ言った。
「撃ち方はじめ」
ダーン。
もう、掌と掌を擦り合わせることはしなかったし、「“つどむ”、“つどむ”」と砲術長の名前をつぶやくこともなかったが、拳を握って「当たるな、当たるな。どうせ、ずれるなら遠ざかる方にずれてくれ」と思っていた。
「だ〜ん、ちゃく」
またもや、完璧な射撃だった。後方50mに着弾した。長いため息と長いまばたきと同時に、セーフのジェスチャーはしていた。
「減速の兆候無し」
言いたくないが言わないわけにはいかない。裸眼で見えているのは、私しか居ない。動静の兆候が一番早く判るのは裸眼だ。
次に艦長が何と言うか判っていた。
「次弾、着弾点、前方ごじゅ〜」
もう何の迷いもなく復唱した。
すぐに砲術長から「調定よし」が来た。
運というものは、いつか尽きる。さっきの弾が最後の運を持っていたかもしれない。次の弾がさっきまでの幸運をすべてぶち壊すかもしれない。

 「“つどむ”、へ〜きか?」
艦長に聞こえないようにコソコソと問いかけた。
離隔距離は同じでも、さっきのように不審船の後方に着弾させるのとは訳が違う。不審船の進行方向に着弾させるのだ。その着弾点に向かって、不審船は33ktで突っ込んで来る。「へ〜きかよ」とはそういう意味である。
「だいじょ〜ぶ」
あの大人しい秀才肌の“つどむ”も、何かが吹っ切れてる。さっき「えっ」と悲鳴を漏らした“つどむ”じゃなくなってる……。
「前方50、調定よし」を聞き、艦長は間髪入れずに号令をかけた。
「撃ち方はじめ」
ダーーーーン。
この射撃音を最後に一切の音がなくなり、すべての動きがスローモーションになった。飛翔中の砲弾が見えていた。見えるわけはないが見えている気分だった。弾着のタイミングも判っていた。巨大な水柱は不審船の前方50mに落ち、その水柱に不審船は突っ込んで行った。不審船の船橋の窓ガラスが吹っ飛んだ。見えっこない距離だが私の脳の中には映像が映っていた。

「減速の兆候、不審船、減速の兆候」
叫んでしまったが、すべては見えるわけがないのに見えている私の脳の中での映像での話であり、そんな気がするということでしかなかった。船橋の窓が吹っ飛んだように感じた。速力が落ちている気がする。気のせいなのか? レーダー解析に時間を要する間、動静の兆候をいち早く把握できるのが裸眼だと言っても、確証がない。自信がない。艦長は「止まるのか? 止まりそうか?」と矢継ぎ早に聞いてくる。聞かれれば聞かれるほど、自信がなくなっていく。
「減速の兆候、元へ、兆候なし、速力変わらず」
確証の持てない私はこう言うしかなかった。
(今、窓が吹っ飛んだろ!! こっちは、見えてんだよ!! 壊れたんなら止まれよ、アホンダラ!! おめ〜ら人間じゃね〜。こっちも吹っ切れてるけど、おめ〜らは全然違う次元で切れちまってる)
次に艦長の口から出た指示は、私の予想を遙かに超えていた。



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