元海上自衛官 伊藤祐靖

「お世話になりました。行ってきます」北朝鮮工作母船追跡事案(第9話)

「苗頭(びょうどう)正中(せいちゅう)、遠(えん)50」
艦長は、「不審船の船体中央部の遠方50mに弾着させよ」と指示した。数キロ離れた不審船のど真ん中を飛び越えさせ、50m遠くに弾着させろという意味である。
 

復唱なんかできる訳がなかった。小刻みに首を横に何度も何度も振った。
「びょ、びょうどうせいちゅう……むりむり、艦長、無理です」
私は、顔を突き出し、これ以上開かないくらい目を見開き、「むり」を連発した。
「じゃあ、どうやったら止まるって言うんだ」
艦長は、激しく怒鳴った。
「しかし、それじゃあ当たります。当たれば確実に沈みます」
ようやく、普通に日本語がしゃべれるレベルまで落ち着いてきた私に、再び艦長は言った。
「苗頭正中、遠50」
さっきまでの興奮していた声ではなく、「いっちまってる目」で私を見詰め、低く静かな声でゆっくりと脅すようだった。
「無理です。当たります」
「復唱しろ」
再び、怒鳴りだした。
「いいから、伝えろ」
艦長は、激しく迫ってきた。

これ以上抵抗すれば、意地になってしまうかもしれない。でも妥協して、みすみす命中弾を生んでしまえば、私がここに居る意味がない。だからといって艦長を意固地にさせてしまったら戻せるものも戻せなくなるだろう。
俺じゃ無理なんだ。何とかなるうちに副長と船務長に渡さないと……。何でここに俺しかいね〜んだ。「あの二人の意見です」と言ったって、ヘッドセットを介して俺が言ったんじゃ納得するものもしね〜だろう。

「伝えろと言ったら伝えろ、意見具申はそれから受ける」
意見具申を受ける? 艦長らしくないな。早くあの二人に渡そうとしている俺の腹を艦長は察しているのかもしれない。艦長も引っ込めたいのか? あの二人なら自分が飲みやすい理屈を持ってきてくれることを艦長は知っているということか。艦長もそれを期待しているのかもしれない……。

「苗頭正中、遠50」
ヘッドセットに向かい、かなりゆっくり言った。
「びょうどう、せいちゅう〜?!?! えん、ごじゅう〜?!?! バカか、この野郎〜。無理だ、無理にキマってんだろ。ナブ! アホ〜、無理って言え。絶対駄目だ!」
副長と船務長がまたもや、同時に怒鳴った。
バカだ、アホだって二人でう〜せ〜つんだ、やべ〜ことは、判ってる。全部が終わっちまうことだって判ってる。こっちだって、さっきから揉めてんだよ。「復唱しろ」をくい止めんのが精一杯なんだよ! ここへ来てみろ、アホンダラ。艦橋の兵隊なんかな〜、みんな小便チビリそうになってんだ。やっとこさっとこ、「意見具申を受ける」までこぎ着けたんだ。もう俺の出番じゃなくなってんだよ。とにかく時間がね〜んだ。頼むから察してくれ、何も言わず察してくれ。今から俺がこれまでの経緯をグダグダ説明なんかし始めたら、おっさんは切れちまうんだよ。不審船は走ってるし、「みょうこう」も走っている。おっさんの頭だって“プッツン”に向かって全力で突っ走ってるんだ。この俺の無言からすべてを理解して、おっさんが上げちまった拳を引っ込め易い理由を考えてくれ。
これだけの想いが頭を巡るのに、おそらく4〜5秒かかった。

ふと我に返ると、ヘッドセットは静まりかえっていた。艦長も私も黙っている。艦内のすべては静寂に包まれていた。二人がすべてを理解したことを、私は確信した。コンソール(タッチパネルの操作盤)に肘を付き頭を抱えて必死に考えている二人の姿が目に浮かんだ。二人の脳がうなりを上げて高速回転しているその音が聞こえていた。もう、俺の手は離れたぜ、あんたらしか止められない。
おそらく、30秒も経っていないだろう。しかし、艦長が待っていられる限界はもうすぐそこまで迫っている。二人は艦長の表情を見ることはできない。艦橋で艦長の顔を見ているのは私しか居ない。
もうすぐ限界……。
間もなく限界……。何でもいいんだよ、不完全でもいいんだから言っちゃってくれ……。
はいっ、終わり。……間に合わなかった。

私は、副長からの声を復唱しているふりをした。何も聞こえてこないヘッドセットの左耳の部分を押さえながら、忠実に復唱しているようにゆっくりとしゃべった。
「副長から艦長へ、先にご指示のあった弾着点について」
私からはもうこれ以上“うそのせりふ”は出てこなかった。
再び沈黙が始まった。艦長は、私をジッと見ている。副長、船務長、これでわかってくれ。ここまでで、俺はネタ切れなんだよ!! 

最後の大勝負だった私のインチキ一人芝居も終わりかと思った刹那、ヘッドセットから副長の声が流れてきた。
「過去○発の安定度を見ればご指示の弾着点も不可能というものではありません。しかしながら、射撃距離を考慮した場合、砲仰角差は、わずかとなり……。よって、○○とさせて頂きたい」
とりあえず、私の一人芝居は成立した。とっさに副長が作った理屈はちょっと無理のある、よく判らないものだったが、ぎりぎり副長に助けられた。艦長は大きくうなずき拳を引っ込めた。
その後何発か警告射撃を継続したが、ほとんど記憶がない。

「不審船減速の兆候」
レーダー解析の方が先に気付いた。実は、私はほんの2〜3秒目を離していた。大恥をかいた。海とはそういう世界である。目標から目を離した瞬間に状況の変化が発生することになっている。
「だいいっせんそ〜く」(18kt)まで、一気に落とした。不審船からウェーキが出ていなかった。不審船のスクリューが回転していない。
「両舷停止」
「みょうこう」のスクリューも止めた。
「艦長、ウェーキが見えません。行き足(惰力)止めます」
船というのはスクリューへの駆動を止めても前進している。まして、全長160mの鉄の塊が33ktで走っていたんだそう簡単に止まるものではない。
「両舷後進半速」
バックに9ktで走れる駆動をかけてやっと停止した。
「両舷停止」
艦は完全に停止した。
不審船も停止していた。

「止まっちまった」
止まれ、止まれ、この野郎、と思って警告射撃をしていたが、現実に止まったら止まったで「おい、おい、おい、どうしよう」という気分になった。真っ暗で鏡のような日本海のど真ん中で、不審船と護衛艦が静まりかえっている。

おい、どうすんだ? 立入検査隊? そりゃね〜よ。だって一回も訓練した事ね〜よ。間違いない。だって、俺は教育訓練係士官だ。おそらく、20名位指定してあるはずの立入検査隊員が誰だかも、みんなまだ、知らね〜だろう。拳銃を撃った事はおろか、持ったことすらない者に拳銃を持たせて北朝鮮の工作員が待ち受ける船に乗り移らせるのか? しかも、真夜中に?! 
世の中に確実なんてものは、そうそうない。が、立入検査隊員は、確実に全員死ぬ。



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