元海上自衛官 伊藤祐靖

たった1回

 或る日の午後、父と私はテレビを見ていた。番組の最後に司会者が「一言お願いします」とある方にマイクを向けると「まもなく、私は○○へ行きますが、その前にそこの色眼鏡をかけている奴を殺します」と普通の表情で答えた。当時のテレビは生放送しかなかったため、司会者は勿論のことテレビの前にいた日本中の人が凍りついた。当時小学校4年生の私も、子供ながらに凍りついた。
「父さん、今、殺すって言ったよね」
「言ってたね〜」
「人を殺しちゃいけないよね」
「ん〜」
「人を殺したら死刑になっちゃうよね」
「まあな〜」
「死刑になったら、駄目だよね」
「駄目ってことはない」
《駄目じゃない???????》
「でも、人を殺しちゃいけないよね」
「あんまり、いいことじゃない」
《おいおいおい、“駄目じゃない”とか“あんまりよくない”とか、こいつ何言ってんだ?》
ふいに父の表情が変わった。
「それより、お前は死刑になるからって止めるのか?」
「えっ???????????」
《何か怒ってるみたいだけど、俺は何かいけないこと言ったのか?》
「死刑になるくらいでなぜ止めるんだ? 死刑になろうが、なんだろうが、やらなきゃならないことってあるだろ。死刑になるくらいのことで止めるな。やれ!」
父が私に“○○をするな”とか“○○をやれ”言ったのは、後にも先にもこの時の1回きりである。父が感情をむき出しにしたことへの驚きと、やっと納得できることを言う大人に出会えたことへの喜びで、私は、非常に興奮した。
生まれつきルールに従うことに抵抗があり、怒られることはもちろん、褒められることもあまり好きではなかった。当然ながら素行も行儀も悪く、普通の子供の何十倍も、もしかしたら何百倍も、人から怒られ、指導され、矯正され続けていた。しかし、この頃、妥協なのか学習なのかわからないが、《彼らの好むことをしていれば、怒られないで済むかもしれない。流されてしまおうか》と、思いかけていた。
その矢先に注がれた父の一言、「死刑になるくらいのことで止めるな! やれ!」は、まさしく天啓だった。それまで母親、祖父母、学校の先生、友達の父兄、近所のおっさん、みんなが私に指導してきたのは、遵法精神、人間としての社会性、処世術の基本だったのだろう。それらを大切にしなければという気持ちがすべてなくなってしまった。そして、心の中では、思っていた。《やっぱりそうなんだ。やっていいんだ。止めなくていいんだ。あぶね〜あぶね〜、あんな奴らのいうことを聞いちまうところだった》。
子供というのは、大人が考えているより遥かに観察力があり、そして現金なものである。それまでも、それ以降も、私は父をずっと怪訝な目で見ていたくせに、この時だけは「この人は、変な人だけど正しい。やっぱりな〜、おかしいのはあいつらなんだ」と思った。そして、《そもそも、あいつらの考えは“せこい”し、“ずるい”し、“ケチくせ〜”。何かって言えば、「そうすることが結局は、君の得につながる」とか言いやがって。俺はな〜、エサなんかぶら下げたって、犬じゃね〜んだ、“お座り”も“お手”もしね〜んだよ、馬鹿》とも思った。そこまで、ひねくれるに至ったのは、生まれつきの捻じ曲がった性格に加え、指導してくる人達が最後に決まって損得を持ち出すことが妙に鼻についたからだ。損得勘定とは別世界の父の考え方に触れた瞬間《この考え方は絶対に誰も褒めないけど、こっちの方がよっぽど正直だ》と無条件で惹かれた。
しかし、この時点で私は重大な勘違いをしていた。この考えは、ちょっとでもその方向を間違えると極めて危険なものとなり、反社会活動を容認するかのように解釈されかねない。大人でさえしっかりと時間をかけて説明しないと誤解しそうなこの話を、9歳の私は殆ど説明なしで理解した気になったため、「やりたいことはする。したくないことはしない」という究極の誤解釈をしてしまった。そして、その後10年近くに渡り、私の誤解釈は暴走し、多くの人に多大な苦痛と迷惑をかけることになるのである。
父が言いたかったのは、「すべきなのか、すべきでないのかは、科せられる罰則の軽重によって決めるものではない。それをする必要性が本当に“ある”のか“ない”のか、それだけを真剣に自ら問うて決めるべきであり、その結果、究極の罰則である死刑が科せられようとも、すべきだと思うなら「やれ」ということだった。
そして、実のところこれは「すべき、せざるべき」という次元の話ではなく、「何のために生きるか?」という非常に大きな問いでもあるのである。
昭和39年生まれの私が受けていた学校教育では、最も大切なのは経済活動であり、最も愚かなのは戦うことであった。「日本は、間違ったことを長年してきた国であり、価値観、生活習慣はもちろん食文化さえ変えなければならない。公を想うのは戦争に繋がる危険思想で、公への奉仕は騙された人がする馬鹿げたことである」という思想が、教育のベースにあった。「覚えなさい」と言われたことを覚え、一流企業で経済活動をするため有名大学を目指す子供が「いい子」と言われた。その指導に疑問も嫌悪感も持たず、世の中ってものを理解しちまったような顔をした小学生が結構いた。私自身も、あやうく大勢に流され、自然に湧き上がる疑問も鼻につく嫌悪感も封じ込めるところだった。
47歳になる今、父が私にたった一度だけ行った強制に感謝し、命より大切なものがある人生に喜びを感じている。

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