影本賢治
「どれだけ待てばヘリコプターは、あの轟くような音を立てて、あの鉄条網の中に降り立つのでしょうか。」—戯曲「よそのくに」(野村 勇)
ずいぶん昔のことですが、陸上自衛官だった私は、ある企業の方から「自衛隊のヘリコプターの中で、どの機種が一番大事だと思いますか?」と聞かれたことがあります。すかさず「(戦闘ヘリの)アパッチです。日本が一番困った時に助けてくれる機体ですから」と答えると、とても驚いた顔をされました。「災害派遣などで平時から活躍するブラックホーク」などと答えるに違いないと思っていたみたいです。(ちなみに、当時の私はブラックホークの整備を担当していました。)
陸上自衛隊の戦闘ヘリコプターAH-64D「アパッチ」
陸上自衛隊の多用途ヘリコプターUH-60JA「ブラックホーク」
それから30年近くが過ぎ、時代は大きく変わりました。2022年に発表された戦略3文書では、私が一番大事だと思っていたアパッチなどの戦闘ヘリコプターが廃止されることになりました。なぜ、こんなことになってしまったのでしょうか? それを知るためには、そもそもヘリコプターが何のために生まれてきたのかを考え直す必要がありそうです。
最初は何に使うか分かっていなかった
アメリカ軍は第2次世界大戦中からヘリコプターを配備していましたが、実際のところは何に使うのか分かっていなかったと言われています。「アメリカン・ヘリコプター」という雑誌の1948年7月号に掲載された風刺画には、椅子に座って頭上に支柱から吊るされたヘリコプターのダウンウォッシュで涼みながらカクテルを飲む将校と、その様子を見ながら「あの大佐はヘリコプターでいったい何をするつもりなんだろう」と話す兵士たちが描かれています。ヘリコプターは狭い場所からでも離着陸できるという優れた能力を有していますが、当時は今よりも耐弾性が低く、速度も遅く、信頼性も低かったので、過酷な環境にさらされる戦場での使い道が思いつかなかったのでしょう。
兵士を救出し移動する役割へ
そんな中、いわば自然発生的に行われるようになったのが、負傷した兵士たちの救出でした。アメリカ軍でのヘリコプターによる患者後送は、第2次世界大戦中の1943年にビルマ戦線で行われたのが最初だと言われています。その後の朝鮮戦争では2万人近くの負傷者が救出され、ヘリコプターの真価が認められるようになりました。ベトナム戦争では「ダストオフ」と呼ばれた患者後送任務が、それまでよりも組織的かつ積極的に行われるようになりました。患者後送中に「負傷者がいる限り!(When I have your wounded.)」という送信を最後に戦死したチャールズ・ケリー少佐は、「ダストオフの父」と呼ばれています。
その一方で、戦闘を目的とした兵士や装備品の移動にも使われ始めました。朝鮮戦争で始まったそのヘリコプターの新しい活用方法は、ハミルトン・ハウズ大将によって空中機動作戦として確立されました。この作戦の効果は、北ベトナム軍に全周包囲されながらも陣地の防御に成功したイア・ドラン渓谷の戦いなどによって証明され、結果的には1万機以上のヘリコプターがベトナムに投入されました。当時、ベル社の組立工場のドアからは、まるで「クリスピー・クリーム」のドーナツのようにヒューイが出荷されていたといいます。
陸上自衛隊の多用途ヘリコプターUH-1J「ヒューイ」
敵と戦う役割へ
ベトナム戦争では、空中機動だけではなく、敵情を偵察したり、敵の戦車や装甲車を攻撃したり、大量の物資を輸送したりすることにもヘリコプターが使われるようになりました。その後の湾岸戦争にも1,000機を超えるヘリコプターが投入され、現代の戦闘に欠かせない存在であることを印象付けました。特に砂漠の嵐作戦において、アパッチがイラク軍のレーダー施設や陣地、戦闘車両などを破壊し、大きな戦果を上げたことは、その後の戦況の進捗に大きく貢献しました。
こういった状況を踏まえ、陸上自衛隊にも隊員救出や移動用のUH-1やUH-60に加えて、偵察用のOH-6やOH-1、攻撃用のAH-1やAH-64、輸送用のCH-47などが装備され、「見る」、「撃つ」、「運ぶ」の機能を満たす機種がすべて揃えられるようになりました。現職の頃の私は、たとえどんなに予算が足りなくなっても、この状態がずっと続くと思い込んでいました。ところが、その思い込みは新たなライバルの出現によって打ち砕かれてしまいました。無人機です。
陸上自衛隊の観測ヘリコプターOH-6「カイオワ」
陸上自衛隊の観測ヘリコプターOH-1
陸上自衛隊の対戦車ヘリコプターAH-1「コブラ」
陸上自衛隊の輸送ヘリコプターCH-47JA「チヌーク」
もう一度本質的な役割へ
近年に入ると、ヘリコプターの脅威となる地対空ミサイルの能力が大幅に向上しました。加えて、無人機が大きく発達し、ヘリコプターにとって代わってその役割を果たせるようになってきました。今も続くウクライナ戦争では、ヘリコプターが撃墜される映像がソーシャルメディア上に多数投稿される一方で、無人機が前線の部隊からはるか後方の市街地まで様々な目標への攻撃を成功させていることが報じられています。戦う兵士たちの様相を伝える映像にもヘリコプターのパイロットではなく、無人機のオペレーターが映し出されることが多くなりました。
このような状況の変化を受け、日本の自衛隊はこれまで装備を進めてきた偵察ヘリコプターや戦闘ヘリコプターを廃止する方向に舵を切りました。また、アメリカ軍も機種選定直前まで進んでいたFARA(Future Attack Reconnaissance Aircraft, 将来型攻撃偵察機)計画を中止しました。もはや偵察や攻撃といったリスクの大きな飛行を有人のヘリコプターで行うことには、戦術的な妥当性が見いだせなくなってしまったのです。さらに、物資の輸送もできる搭載能力の大きな無人機も開発されつつあります。将来的には、輸送という役割も無人機が担うようになるかもしれません。
そんな中、これからの有人のヘリコプターの役割には何が残ったのでしょうか? それは「どうしても人が乗らなければ意味のない、兵士などの救助や移動」ということになるでしょう。それは、軍隊にヘリコプターが導入され始めた頃の使い方に原点回帰することを意味します。対空ミサイルという脅威や無人機という競合兵器の登場によりリスクの大きな役割が消し去られ、ヘリコプターが生まれた時から持っていた本質的な役割だけが残ったということではないでしょうか。
こうしたヘリコプターの本質的な役割が、日本が直面する現実的な課題である北朝鮮拉致問題においても重要であることは言うまでもありません。北朝鮮には多くの日本人拉致被害者がいます。救出部隊の隊員たちを移動させ、被害者たちを救出することは、当然のことながら、自衛隊のヘリコプターの役割です。
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読みやすく分かりやすい文体に優秀さを感じます。コレからも精進を祈ります🙏