荒谷卓
【神話にみる日本文化の源泉】
私はそこで「古事記」の話をしました。
古事記の冒頭は、『天地(アメツチ)の初まり、高天原(タカマノハラ)に成った神の名は、天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)』と書いてあります。
神道に、統一した解釈は無いのですが、一つの解釈として、宇宙の最初は、中心としてのエネルギーが成り顕れた。その中心エネルギーを天之御中主神とよんだと。中心が出来ると同時に、高御産巣日神(タカミムスヒノカミ)と神御産巣日神(カミムスヒノカミ)が成り顕れた。
「ムスヒ」とは産霊とも書き、現代語で言う「むすび」です。つまり、何かを生み出す創造エネルギーのことをいうのです。高御産巣日神は膨張するエネルギー、神御産巣日神は収縮するエネルギーです。
ですから、神道の宇宙観では、中心と、中心へのエンルギーの集中、中心からのエネルギーの拡張によって、創造活動か始まったという考えです。
上の図に、トーラス・エネルギーのイメージ絵が書いてあります。中心が出来ると中心の周りをエネルギーが循環・還元するという宇宙の基本構造は、素粒子物理学でいっている宇宙創造のイメージで、日本神話のイメージも最新の素粒子物理学と全く同じではないかと話が盛り上がりました。
トーラスの形状を、中心へとエネルギーが入っていく方向から見るとブラックホールです。反対から見るとエネルギーが出てくるビッグバン状態になる。
武道では、これを陰陽一体といって、気エネルギーの循環としての一つの理合いです。武道では、心身の中心である丹田に気を充実させ、丹田を中心に気と力を循環・還元させるわけです。
最先端の科学と日本の武道がどう噛み合うのかと最初は心配しておりましたが、セミナーを通じて、参加者と色々な話をしながら稽古をしているうちに、CERNで実験している宇宙の真理を、武道では自分の心身を素材にして探求している。
つまり、個人も宇宙も、素粒子物理学の真理も武道の心理も夫々がハーモナイズされているのだということに参加者は興奮を覚えておりました。
武道セミナーでは、産霊(ムスヒ)についても少し詳しく説明しました。
ムスヒつまり「結び」と言う言葉は、日本では、例えば男女が「結ばれる」という具合に使います。男女が結ばれたエネルギー(霊)が子に成る。霊が男になるので彦(ヒコ)、霊が女なら姫(ヒメ)になる。また、「産す(ムス)」のが男子(オノコ)だとムスコ(息子)、女子(ヒメ)だとムスメ(娘)になる訳です。
武道にも「結び」があります。剣と剣を合わせることを「斬り結び」と言います。切り殺すとか、切り倒すという発想を越えた、「切り結び」と言う言葉には、戦いにおいてさえも、敵の殺傷ではなく共生と創造を託す思いがこめられています。
この様な武の考えの源泉は、日本神話の中の、「国譲り」という話の中にあります。
高天原の使者である武甕槌大神(タケミカヅチノカミ)、この神様は鹿島神宮の御祭神で、武の神様ですが、この武甕槌大神が大国主神(オオクニヌシノカミ)と国譲りの交渉をします。
このとき、武甕槌大神は、大国主神がウシハク統治すなわち私権による統治をしていることは宜しくない、天孫によるシロシメス統治、すなわち人々の心を知る統治が大切なのだという話をします。
大国主神はこれに納得します。しかし、息子の猛々しい建御名方命(タケミナカタノミコト)は賛同せず、武甕槌大神に戦いを挑んだのです。
いざ戦うと、武甕槌大神の武威は凄まじく、圧倒された建御名方命は、逃げに逃げ諏訪湖の湖畔に来て降参をしました。これに対して、武甕槌大神は殺すことなく、そこにお社を建てて建御名方命の武威を祀ったのが諏訪大社。それから日本で一番大きいお社である出雲大社を建てて、大国主神をお祀りした。ここには、勝った者が負けた者を尊び敬うという思想が出てくるのです。
私は、ドイツでケルンの大聖堂を見ました。ケルンはローマの植民地でした。ローマ・カソリックの大聖堂の真下にはゲルマンの御社跡があり、それが発掘されて見学できるようになっています。つまりローマ軍が侵攻した時に、ゲルマン民族の神の社を潰して、その上に教会を建てキリスト以外の神を抹消していったのです。
日本では、全国に、その土地の神様、里の氏神様等天照大神系でない神様の神社がいっぱい残っています。つまり信仰上の排他的活動はしなかったという証です。
日本の武神は、戦いの後は相手を尊び、その尊厳を損なわず祀ったのです。これが、武士の礼といわれることの根底の発想になっています。
戦略論では、クラウゼヴィッツと孫子が有名ですが、この戦略論は、敵味方論になっております。
自分の価値に同意しない敵を排除するのが、今のグローバル・スタンダードのやり方、すなわちクラウゼヴィッツや孫子的な戦略論なのです。
これに対して日本の戦略論の代表である、楠正成の遺訓を見てみたいと思います。
兵を学ぶ法は、心性を悟り庶民を親愛するを上とし、計謀によって学ぶを中とし、戦術をむさぼり習うを下とする。〈中略〉
将に徳あるときは、敵の兵必ず我兵となり、敵の民我民となる。
将に智あるときは、敵の謀我謀となし、敵の利もまた我利となる。
将に勇のあるときは、敵の威我威となり、敵の能我能となる。
この三徳を以て、明らかに方法を明察し、敵の謀に乗じて、却ってこれを覆す、これ名づけて上将の軍法とす。
中将は、自らその徳を積まず、その功を求め、ただ敵の謀を察し、その計略を欺き、我謀を多くして、敵を殺さんことを用いて、敵の生ずるところを知らず、十度戦いて十度勝と言えども、未だかつてその太平を知らず、これ中将の法なり。
下将は、ひとえに戦いを好んで、利を争い、士民を使うに怒りを以てし、人を従えるに専ら殺罰を用い、己の勢いを頼んで敵の智謀を悟らず。〈以下略〉
正成が「上」としたのは、「心性を悟り庶民を親愛する」兵法です。つまり、庶民との調和です。ですから、「徳」、「智」、「勇」を「調和と均衡の徳」「調和と均衡の知恵」「調和と均衡の勇気」と読み替えてみると言わんとしていることがよくわかります。
調和と均衡をもたらす戦略により、敵の兵も、敵の民も、敵の謀も、敵の利も、敵の威も、敵の能力もすべて我のものになるということです。傑出した和の兵法です。事実、彼は、圧倒的に少ない兵にもかかわらず庶民の力をもって鎌倉幕府を倒しました。
「中」の将は、「調和と均衡」の考えがないものだから、十戦十勝しても、世の中を平和にできない。現在の米国を見れば、言い得て然りです。
「下」の将に至っては、調和どころか辺りかまわず対立をせっせと作るばかりで、結局は自滅することになる。
クラウゼヴィッツの戦争論も孫子の兵法も優れた理論でありますが、敵は敵、味方は味方という前提です。チェスと一緒ですね。敵の駒は終始敵の駒、味方の駒は終始味方の駒、ところが将棋の駒は取ると我が駒になりますね。死に駒が一つも無い。敵の兵も自分の兵になるのだと。敵の民は、我が民となる発想が日本の戦略にはあるのです。
これは、クラウゼヴィツや孫子より一段上の戦略的発想です。特に、今のグローバル化した世界で、敵は敵、イスラムは絶対ダメなんてやっていますと、永久に安定した秩序構築は出来ないでしょう。
だから、テロとの戦いは、どんどんエスカレートしている訳です。終わりが見えてこないのです。楠正成の軍法「敵をして、敵の民を我が民とする。」そういう考えを基にしないと現状の問題は解決しないでしょう。(つづく)
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