荒谷卓
私が現職自衛官として、防衛庁防衛局戦略研究室に勤務している折、米国国防省ネット アセスメント会議(米国、2001 年 10 月)で報告するために「統一朝鮮が地域安全保障に 及ぼす影響」と言う戦略論文をまとめた。出国直前に人事異動で陸幕防衛班に戻ることに なったので、発表は後任者に任せた。彼によると、この報告は、会議主催者である米国防 省総合評価局長アンドリュー・マーシャル氏から絶賛されたと言う。
この論文は、ネットアセスメント手法を取り入れた戦略論文で、朝鮮半島が統一した場 合、客観的に可能性のある全ての戦略環境を比較分析し、それを総合評価して、我が国に とってもっとも望ましい極東アジアの戦略環境は何かと言うことを整理したものであった。
このように、戦略を立案するということは、現状にとらわれず将来のあらゆる可能性の 中から、国家が主体的に目指すべき戦略ビジョンを確立することである。
この職も含め、防衛戦略(戦略)、防衛計画の大綱・中期防衛力整備計画(政策構想)、 年度防衛計画(政策)等に関ってきたが、このような戦略から政策までを一貫性を持って 立案するための思考要領は、PPBS(Planning, Programing, Budget System)と言われる。 現状にとらわれない目指すべき長期戦略ビジョンを確立し、その実現を図るために現状 を分析して政策の方向性を中期構想として定め、具体的な政策を予算の裏づけのもとに年度毎に実行していくのだ。このような思考プロセスで進められる政策を、戦略的発想をも った政策と言う。
ところで、防衛戦略を立案するに当たって困ったことがある。前提となる国家戦略が無 いとうことだ。国家戦略とは、目指すべき国内外の総合的戦略環境のビジョンをいう。本 来、国家戦略があって防衛戦略が決まる。
平成25年12月に、「国防の基本方針について」(昭和32年)に代わって「国家安全保障 戦略」と言うものが定められた。名前からして、ようやく戦略が確立されたかの印象を受け るかもしれない。しかし、内容は、「戦後の平和国家としての歩みを引き続き堅持し、国際 社会の平和と安定及び反映の確保にこれまで以上に積極的に寄与していく」ことだそうだ。
具体的目標では、日米同盟の強化と、(米国の提唱する)グローバルな国際秩序の強化に 主導的役割を果たすことだとしている。
これでは、自立した戦略の立てようが無い。我が国の戦略は米国にまかせ、米国のお役 に立つように頑張るというのだ。
他方、これほど米国に依存しておきながら、次期米国大統領候補者の政策スピーチの内 容に日本国民が無関心なのはどうしたことだろうか。日本のメディアも、大統領候補者達が何を言っているのかを伝えない。それはおそらく、米国にとって如何に日本の存在価値が小さいかがわかってしまうからではないか。 今回の米国大統領候補者のスピーチの中に日本と言う言葉はほとんど出てこない。出たかと思えば、共和党のトランプ氏のように「日本の車を買うのをやめさせる」という内容だ。 私が米留した時に確認したが、米国の太平洋地域の最大の同盟パートナーは親中のオーストラリアだ。日米同盟のランキングは、サウジとかカザフスタンと同等程度。
戦略をもたないまま合理的な判断をするとどうなるか。強い者には逆らわない、と言う ことになる。これは国を滅ぼす。
幕末の徳川幕府の判断のようなものだ。これでは国が亡ぶとして維新が起きた。日本の 近代化に際し、明治天皇が御示しになったのは、日本の道義的戦略思考を保持した政治だ った。しかし、実態は、国益を優先させる合理的思考が優先し、大きな方向性を誤った。
例えば、日英同盟だ。未だに日英同盟を結んでいたときはよかった等と馬鹿なことを言 う輩がいるが、第1次世界大戦中、日本が日英同盟に基づきドイツに宣戦し派兵している 最中の 1917 年 3 月に、大英帝国会議で配布された「日英関係に関する覚書」には、「日本 人は狂信的な愛国心、国家的侵略性、個人的残忍性を有し偽りに満ちており、日本は本質 的に侵略的な国家である。(中略)資源の面から考えれば、日本の政治目的は大英帝国の部 分的消滅をともなうものであり、日英間に協力すべき共通の目的は存在しない」と記され ている。
英国の戦略に上手く利用され、日露戦争に踏み切り、戦争経費を英米からの借り入れ資 金でなんとか乗り切ったものの、その後の金準備や外貨準備の大部分を英国に上手く利用 され、国家の資産を上手く活用できないまま経済的に窮地に追い込まれたことが、満州事 変そして大東亜戦争を引き起こす原因の一つとなった経緯をよく考えなくてはならない。
英国のインド植民地化を認め民族自決という道義戦略を捨て、当面する政治状況への対 処を合理的に判断したつもりでも、その先の展望については単なる希望、根拠の無い英国 への信頼感だけに頼っていた。
当時のアングロサクソン連合のような発想も日本人独特の考えだ。米国は、1920年 代に戦争計画・カラーコード計画のうちレッド計画と言う対英戦争計画も準備し、レッド・ オレンジ計画つまり対英日の二正面計画さえ策定していた。
戦後は、いよいよ戦略的思考すら放棄して現代に至っている。戦略的発想も無いまま、 米国経済と当面の為替相場の安定のために、当時と同じ自由に使えない米ドル・米国債の 異常なる外貨準備が蓄積されている。そして何より、根拠の無いまま、単なる希望だけで 米国に頼っている。
現在、米国の提唱する戦略思想は、個人の自由と競争を正当化する法秩序による世界統 治だ。競争による勝者と敗者が確定する世界を望ましい戦略環境として描いているわけだ。
競争に使う手段は情報・メディア力つまりプロパガンダ力、経済力、軍事力、政治力等自由だ。同盟関係は、自国の競争力を高める手段に過ぎない。 これに対して日本文化の特徴は「和」、つまり利他と共生共助共栄を基調とする。米国が提唱する価値基準とは正反対だ。 米国の軍事戦略に従って自衛隊を海外に派遣することが、どうすれば日本の文化価値に沿う国際社会の構築に繋がるのだ。貿易と経済の自由競争を促進する TPP に参加すること が、どうすれば君民一体の伝統的「和」の社会を保全することに繋がるのだ。
「米国が決めたんだから、日本はそうするしかないでしょう」と言ってはばからない、元 外務官僚の言動に乗って、独自の戦略ビジョンも無いまま、とりあえず上手く対処してい けば日本文化を守れると考えるのは、根拠も展望も無い希望に過ぎない。
神武建国の御詔勅には、明確に日本の道義的戦略ビジョンが歌われている。『八紘を掩ひ て宇と為む』という戦略ビジョンだ。
『八紘を掩ひて宇と為む』を戦略理念として掲げ、共生共助共栄が可能な社会の設計図 (戦略環境)を描き、その実現のための方向性(政策構想)を定め、今何をすればよいのか(政策 立案)を考えることを始めることが日本の道義的戦略思考に繋がる。
また、こうした作業に実際にとりかかれば、現憲法、現法律、現政策の何が正しくて何 が正しくないかが良く見えてくる。
上杉鷹山の言うように『為せば成る為さねば成らぬ何事も成らぬは人の為さぬなりけり』 だ。政府が為さないのなら民間で為せばよい。妙な合理的判断で政府におもねっていては、 道を誤る。現状に囚われない戦略的気概を持つべし。
紀元節(建国記念日)を復活させたのは、まさに、そうした国民活動を再開するための日 本精神の復興が目的なのではないか。
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