荒谷卓
現代社会のテーマ「レジリエンス」
現代はストレスの時代とも言われるほど、多くの人々が日常的に様々なストレスを感じて生きています。
そうした社会状況もあって、最近は、よく「レジリエンス:resilience」という言葉が使われるようになりました。
心理学では精神的ストレスに対する「回復力」や「抵抗力」と訳されることもあり、「(精神的)脆弱性」の反対の概念だと説明されています。
日本語では「胆力」という訳が最も適していると思いますが、これは鋼のような強さを指すのではなく、「柳のようにしなやかで決して折れない強さ」を意味します。失敗や窮地に追い込まれても、挫折することなく、その経験を糧に成長できる人間はレジリエンスが高いと言えるでしょう。故 事を借りれば、「災い転じて福と為す」力です。
レジリエンスは、危機管理でいうと「リスク・リカバリー」ということになります。
通常、危機管理というと、リスクを特定し、それを回避し低減することに特化しがちです。例えば、防災訓練や国民保護活動訓練等を見ていると、特定したリスクへの対処マニュアルに従い台本どおりに行動して「良し」としている場合が多いようです。しかし、実際にはリスクの特定も、リスクへの対処も常に不確定さを含んでいます。ですから、リスクを蒙ってしまってからのリカバリーも訓練しなくては危機管理能力の向上にはつながりません。
リスクに対する個人や組織のレジリエンス能力を養成することは、危機管理ではとても重要なことなのです。
現代の日本人のレジリエンスのレベルはどの程度か
人のレジリエンスを高めるには「知識」「協調性」「意志」という三つの要素が不可欠だと言われています。
精神的ストレスの多い現代は、ストレス対処の知識が巷にあふれています。ストレス対処のために、何らかの知識が有効であると言うことは確かでしょうが、知識が万能ではないということも確かです。
レジリエンスに「協調性」が求められるのは、協調するためにはその前提として一定の「自己犠牲を許容する」というプロセスが不可欠だからです。
「自己犠牲」と聞くと大袈裟なように感じるかもしれませんが、要するに、自分自身より他者や全体を優先して考えるという感情調整が出来なければ他者と協調は出来ないという意味です。協調性の高さが、ストレスの許容範囲の広さに繋がるわけです。
例えば、個人主義の徹底した欧米の国の特殊部隊では、協調性を養うために、隊員間のチームワークの必要性が強調され、そのためのカリキュラムが実施されています。
日本人はこの面では優れており、欧米人と比べると、ことさらチームワーク教育をしなくても集団での協調性を発揮できる人が多くいます。災害時に日本人が見せる協調性は、まさに、高度のレジリエンスを日本民族が文化として保持していることを示しているのです。
もっとも最近は、ストレスに向き合えない新人社員が多いと言われます。これは、日本人のレジリエンスが低くなっていることの現れでしょう。
例えば、「この職場は自分に向いていない」等と思い悩む人が典型的ストレス症候群に属します。
職場の環境が良くないと思ったら、自分で環境を変えていく新奇性追求や、環境の悪さも修行の内というような未来志向、あるいは「仕方ないな」というある種の鈍感さや、「まあいいや」と言う楽観性があれば、ストレスを感じない感情のコントロールが出来ます。このような人は、レジリエンスが高いと言えます。
三つ目の要素である「意志」とは、明確な目的意識を持っているということです。自分の生き方に強い意義付けができている人は、レジリエンスがかなり高い人です。
この面に関しては、独自の歴史的思想を確立している欧米人に比べ、伝統文化から切り離された現代の日本人は劣っているといえるでしょう。
例えば、個人主義や自由主義という考えについて、米国人のように神から与えられた使命を全うするというような感覚を持っている日本人は少なく、それを享受するだけで確立された思想や信仰のない中途半端な個人主義や自由主義は、日本人の精神を弱体化させていると考えられます。
レジリエンスを向上させる思考と
レジリエンスを劣化させる思考
レジリエンスを無形の戦力と考える米陸軍特殊部隊では、After Action Review(AAR:行動後の検証)を重要視しています。AARとは一九七〇年代に米陸軍に導入された手法で、ある出来事やプロジェクトから学習すべき教訓を抽出して、他の場面に応用するための方法論です。
自分たちがとった行動を、達成しようとした目的と照らし合わせて客観的に検証し、失敗した理由を評価分析し、そこから教訓を導き出して次の行動に活かすという学習プロセスなのです。
これはまさに失敗を恐れず、次の成功につなげようというポジティブな思考を養成するもので、この思考プロセスを習慣化することで、レジリエンスの向上につなげることが出来るようになるのです。
AARでは、成功経験から正しい教訓を見出すのは難しく、失敗経験を素材にするほうが容易です。なぜなら、成功の原因が失敗の累積である場合も多いわけですし、成功要件の一つが欠落しただけでも失敗に繋がるということを見落としがちだからです。
一つの成功体験を客観的に評価せず、そのままマニュアル化すると、慢性的失敗に落ち込むことがよ くあります。
戦前、日本海海戦で勝利した日本海軍が、その成功体験をマニュアル化していることを、米国人記者ヒュー・バイアスは自著「敵国日本」で次のように記述しています。
『日本の軍人は、最初の奇襲に最大の重要性をおく。その計画は緻密を極める。後は真っ向正面から攻めるマニュアル通りの攻撃である。日本人は、計画は上手に作るが臨機応変の才がない。法則に従って行動を規律する癖は根深いものである。計画がはずれると全てがだめになる』。
戦後日本経済の成功マニュアルも同じです。東西冷戦が、米国に依存してもリスクが少ない特殊な戦略環境であったということを認識せず、戦略環境が変わっても、米国依存の成功体験から逃れられない現代日本人の思考の硬直化は、バイアスが記した戦前のそれに匹敵するように思えます。
かつて、日本が日英同盟に基づきドイツに宣戦し派兵している最中の一九一七年三月に、大英帝国会議で配布された「日英関係に関する覚書」には、「日本人は狂信的な愛国心、国家的侵略性、個人的残忍性を有し偽りに満ちており、日本は本質的に侵略的な国家である。(中略)資源の面から考えれば、日本の政治目的は大英帝国の部分的消滅をともなうものであり、日英間に協力すべき共通の目的は存在しない」と記されています。
当時の日本政府は、英国の政治的意図を正しく認識できませんでした。その結果、英国の戦略に上手く利用され日露戦争に踏み切り、戦争経費を英米からの借り入れ資金でなんとか乗り切りました。しかし、その後の金準備や外貨準備の大部分を英国に上手く利用され、国家の資産を上手く活用できないまま経済的に窮地に追い込まれたことが、満州事変そして大東亜戦争を引き起こす原因の一つとなった経緯を、教訓として考えなくてはなりません。
同盟関係とは、政治的利益獲得の契約であって、情緒的友好関係とは無縁のものです。現状の、客観性を欠いた期待感だけの対米依存姿勢は、経済、安保、福祉、文化等あらゆる面で国民のストレスを増強し、問題解決のレジリエンスを低下させているように思われます。その先には、精神衰弱か激情の発露しかなくなるでしょう。
かつての日本の武士たちに見られたレジリエンスの高さに学ぶ
安土桃山時代から江戸時代初期の武将で黒田家や豊臣家に仕えた後藤又兵衛の逸話は、かつての日本人のレジリエンスの高さを物語っています。
豊前国で一揆を起こした城井鎮房との戦いに敗れた黒田如水の息子・長政が、頭を丸めて如水に詫びたのに対し、又兵衛は「戦に勝敗はつきもの。
負け戦の度に髷を落としていたら、生涯、毛が揃うことがない」と言い放ったといいます。
また敗戦の直後に「今こそ攻めるべき」と進言し、「これだけの負けを喫したのに何を申すか」と取り合わぬ長政に対し、「これほどの負け方をしたが故に、敵は今攻められるとは思ってもいないはず」と答え、敗北の直後にも関わらず、そこにチャンスを見出そうとしたのです。
こうした後藤又兵衛の逸話は、失敗を苦にするどころか目的達成の好機として捉える意志力の強さ、つまり、レジリエンスの何たるかを示していると言えます。
更に時代を遡れば、楠木正成公が後醍醐天皇に奏上した「勝つも負けるも合戦の習い、いちいち御気にかけず、正成一人なお生きているとお聞きなされば、天皇の御意志必ず成し遂げられるものと思し召せ」と述べた逸話にも明確に、大楠公のレジリエンスがいかに強く形成されていたかが伺えます。
このような武士たちの生き様には、強い目的意識、楽観性、新奇性追求、感情調整、肯定的な未来志向等現代の日本人が探求すべきレジリエンスの要素がすべて含まれています。では、このような日本の武士たちの精神文化はどのように育まれてきたのでしょうか。
フロイトの精神構造論によれば、強力な自己の目的意識が形成されるためには、「自我」が「理想的な行為をする自己」、すなわち「超自我」と同一化するプロセスが必要だと指摘しています。
そして、自我の「超自我」への同一化の条件として、「厳格な任務への同意」、「任務に基づく行動の結果の容認」そして「群衆との差別化」という三つの要素が必要だと言います。
日本の武士たちの生き方を考察すると、この精神構造論の条件に合致した行動が数多く見られることが分かります。
幕末の江戸城無血開城の陰の立役者だった山岡鉄舟を見てみましょう。時の将軍徳川慶喜が官軍に対して恭順の意を伝えるべく鉄舟に密使を頼んだ際、鉄舟は慶喜の真意を確認するまで任務を引き受けていません。将軍慶喜が涙を流して大政奉還の真意を伝えてはじめて、『鉄太郎の目の黒い内はご心配なさるな』と言い切ってこの困難な任務を引き受けているのです。まさにフロイトの言う「厳格な任務への同意」が出来てはじめて、鉄舟は官軍参謀の西郷隆盛との交渉に向かったのです。
しかも、敵陣に単身乗り込もうとする鉄舟に対し、「どうやって西郷に会いに行くつもりか」と懸念する勝海舟に対し、馬に乗って行くだけ、と述べて正面から堂々と乗り込んでいった鉄舟の境地は、まさに「任務に基づく行動の結果を容認」した楽観的態度といえるでしょう。
たとえ困難な結果が予想されたとしても、自身が信じる任務を遂行しようという精神は、吉田松陰の「かくすれば、かくなるものと知りながら、已むに已まれぬ大和魂」という有名な詠歌にも表れています。
また、西郷隆盛は「人生を全うしようとする者は、大衆がいくら非難しようが正しいと信ずることを変えることはしない。逆に、大衆がいくら褒めても正しくないものは正す。それは、自分が信じる道に確信を持っているからだ。」と述べている通り、当時の武士たちは世間の評価がどのようなものであろうとも、己が信ずる道を信じて進むという武士の誇り(高慢さとは違う群衆との差別化)を持っていたのです。
世界的ストレス社会から脱却しよりよい世界の創造を目指す
日本では古来から、協心努力を徳として重んじてきました。いわゆる「和」の文化です。共生、共助、共栄の「和」こそが、日本社会の価値観の中核として慣習化され文化として定着したのです。
神武天皇が奈良の橿原で大和の都を開くときに国民に呼びかけたのは『八紘を掩ひて宇と為む』(天下を一つの家のような社会に為そう)という詔でした。これが日本の建国理念です。
また、聖徳太子が十七条の憲法に「和をもって貴しとし」と記したのも神武建国理念の継承です。
日本の近代化に際しては、明治天皇が五箇条の御誓文において「万機公論に決すべし」として、専制独断によらず公論による議決を国是としました。
このように、日本の伝統精神の中核は、ずっと変わらず大きく和する「大和心」でした。現代では「おもてなし」や「思いやり」とか「絆」とか言われているものも日本人の大和心です。これこそが、人々の共生、共助、共栄共をめざす日本が世界に誇る生きた伝統文化なのです。
米国の心理学者アブラハム・マズローは、高度に文化が発展し平和で安定している社会では、人々がその社会に貢献したいという要求を持つようになると言っています。帰属する社会が、高い協調性があって、社会の習慣が協力を値打ちのあるものだと見なしていれば、利他精神や社会奉仕は自然と生まれてくるものです。
そして、協調を大事にする帰属社会が危機に直面すれば、「大和心」が猛々しさを備え、自己を犠牲にしても社会を守り抜こうとする「大和魂」になるのです。武士道といわれるものの本性は、この「大和魂」です。
キリスト教徒であった内村鑑三は、米国での体験から米国人の信仰態度に幻滅して帰国し、武士道こそが純粋なる殉教精神であるとして次のように言いました。「日本武士は、その正義と真理のため生命を惜しまざる犠牲の精神に共鳴して神の道に従った。武士道は日本における唯一の道徳・倫理であり、かつ、世界最高の人の道である。武士道がある限り日本は栄え、武士道がなくなるとき日本は滅びる」。
今や世界全体が、経済の低成長や格差、そして民族の大移動や宗教紛争等、危機的問題に直面し、有効な解決策を見出せずにストレス状態に陥っています。
そんな中で、日本の歴史を紐解けば、世界が範とするようなレジリエンスを示した日本人の姿に触れることが出来ます。
現代のストレス社会において、ただ単にレジリエンスを高めても正しい人間、正しい社会が出来上がるわけではありません。世界的ストレスからの回復の先に、よりよい世界を描くことが重要なのです。
苦境にあっても理想にひた走った武人たちの生き方を通じて、日本人の正しいレジリエンスを学ぶことは、現代だからこそ大きな意義があります。
そして、建国以来の「和」を大事にする伝統的精神文化の再興をはかることで、ストレス社会からの脱却を図ることができるでしょう。
またそれは、権利を主張し競争を原理として格差と不安と対立を産む現代世界を、共生と共助と共栄を目指す新たな世界へと転換させる粘り強い力になるはずです。
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