伊藤祐靖
疲労感は、その限度を通り越し、絶望感に変わりつつあった。2本の脚で立っているのも苦痛で、その場にへたり込みたくなってきた。仮にここですべてを投げ出してしまっても急に楽になるわけではない。こんな絶海の孤島のジャングルである。ここから、今来た経路を戻り、再び漁船まで泳いで行かなければならない。だから、体力を使い切るわけにはいかないのである。ましてこの島には、敵勢力が潜んでいる可能性すらあるわけで、遭遇すればその場から目撃者も証拠映像も絶対に残らない容赦のない争いを始めるしかない。
ふと気が付くと私は、「止めてしまおう。だって……」止めてしまうことを正当化する理由を考え始めていた。この止めてしまおうという感情は、身体からの悲鳴や、何かを察知した感性からの危険信号なのか、それとも、ただただ、苦しさから逃れたいという弱さなのかを見極めるのが難しい。しかし、私は知っている。どう...やったら、悲鳴や危険信号からなのか、弱さなのかがわかる方法を知っている。目的をもう一度考えたとき、止めてしまいたいという気持ちが一瞬でも止まればそれは弱さからくる、逃げである。危険信号から来ている場合は、逆に止めるべきだという気持ちが強くなる。真剣に運動をやったことのある人ならば、苦痛から逃げようとして自分を騙そうとしているのか、本当の悲鳴なのか毎日何度も何度も自問自答をするので、自分の癖を知っている。
「俺は、どうして、魚釣島の絶壁に国旗を掲げたいんだ?」
「それは、国民の意志を示すため」
「誰に?」
「どうしても、知って欲しい人達がいる」
自問自答の結果、止める気持ちが一瞬どころではなく、しばらく停滞した。ということは、弱さから来る、この苦しみから逃げたいという衝動にすぎない。しかも、一瞬じゃなくて、しばらく停滞したのだから、限界はまだまだ遠いと言うこととなる・・・・・・。
出発してから1時間、逡巡していた割にはあっさりと魚釣島を東西に走る尾根に出た。これで少なくとも、30分は稼げた。あと1時間以内に旗を設置する断崖絶壁を見つければいいだけだ。そんなもの、1時間かかるわけがない。希望とともに活力も復活してきた。
尾根には、剥き出しになった大岩がごろごろしていたが、日の丸を吊り下げるにふさわしいスキッと切れ落ちるような断崖は、簡単には見つからなかった。見上げるような大岩を両手足を使ってよじ登り、這い降りしながら、適切な場所を探しつつ進んで行った。ほどなく、東の空が白みだし、いちいち星を見なくても方角がわかるようになってきた。虫の音が鳥の声に変わっていく。たったひとつの味方だった闇がなくなり発見されやすくなるという恐怖感と、夜明けをむかえるという本能的な喜びが入り混じった気持ちになっていた。
キーーーン、ゴー。
ジェットエンジンだ。私の1キロ圏内をジェット機が通過した。
つづく(まだまだ)
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