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​設立趣旨

当団体の活動内容

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私たちは何を守るべきなのか

拉致被害者を救出する!

守るべきは過去から未来へと続くこの祖国

代表の挨拶

私たちは何を守るべきなのか

予備役ブルーリボンの会 代表 荒木和博

 「自衛隊」という言葉によってその本質が見過ごされていますが、「軍」が守るべきは国家、それも今だけではなく過去から未来へ、連綿と続く日本国です。私たちは現在の立場は民間人ですが、これまで「軍務」に関わってきた者として、 拉致被害者の救出を実現するという目的に向かって活動しています。

北朝鮮に拉致された日本人を救出するのは、明らかに「軍」の任務であるはずです。被害者が公権力の及ぶ、つまり警察で対処しうる日本国内ではなく、北朝鮮にいるからです。また、被害者の多くは不法に入国した北朝鮮工作員によって拉致されています。主権侵害という意味でも軍が関与をするのは当然です。

しかし、日本では拉致問題を主に警察と外務省が担当してきました。そしてその結果、「証拠がない」という理由で大部分の拉致を警察が見逃し、認めざるを得なくなったごく一部について、外務省が「話し合い」をするという、およそ救出からかけ離れたやりかたで対処してきたのです。そして拉致された国民は国家に捨てられたままで何年あるいは何十年もの長きにわたって北朝鮮にとらわれてきました。

これは戦後65年間、自国の安全保障を他国に委ねることを「日米同盟」という美名によって誤魔化してきたことの結果だったとも言えます。もちろんそれは一部政治家のみに責任を負わせられるものではなく、そのような政治を選択してきた私たち日本国民一人ひとりの責任であるとも言えます。
政府が拉致認定するしないにかかわらず、拉致被害者のご家族は多くがご高齢になり、願いを果たすことなく亡くなっておられます。私たちは自らの力で被害者を救出するための努力も含めて、本当の意味で救出に資する具体的な行動を続けています。皆様のご支援、ご協力をお願い申しあげます。

代表挨拶

設立3年に際し、予備役ブルーリボンの会の目指すもの
本会の設立から3年が経過した。この間組織の整備は進み、会員も増え様々な活動は行われ ているものの、肝心の拉致問題自体が膠着状態にあり、私たちがいかにかかわるかについて明 確になりえていない。それはともすれば会の自己像自体も曖昧なものにしつつある。
私たちはこの3年という区切りにおいて、これまでの経験を踏まえあらためて会の目標を再 確認したい。それはいかなる状況にも対応できるための個々の資質の向上である。会員各自が 身体能力、あるいはそれぞれの技能を磨き、また社会の枢要な地位を占め、状況の変化に柔軟 に対応して拉致被害者の救出を実現するため、最大限の能力の蓄積を目指すものである。これ はかつて陸軍中野学校が目指したものにも通じると言える。
北朝鮮も日本も状況は流動的であり、拉致被害者の救出も何らかの計画に従って着実な準備 をしうるものではない。しかし、東日本大震災においてもその1分前まで、被災地に日常の風 景が展開していたことを考えるとき、また津波など急に生起した事態において一分一秒の対処 の差が生死をも決したことを想起するとき、私たち自身の能力及び意識の向上が急務であると 言わざるを得ない。
私たちは今後、各自が拉致被害者救出のためにいかにかかわるかを明確にし、来るべき事態 に対応する準備を早急に進める。
以上決議する。
平成23年6月26日

予備役ブルーリボンの会第3回総会

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(決議案について)
「陸軍中野学校」というと「スパイになるということか」と思った方もいるかも知れません。中野学校は昭和13年に後方勤務要員養成所の名称で設立され、昭和15年に東京都中野区に移って中野学校となりました。大東亜 戦争末期までには小野田さんの出た二俣分校なども入れて約2000人の卒業生を輩出し、情報戦、遊撃戦など様々 な分野で活躍し、戦後も一部は東南アジア諸国の独立戦争に身を捧げたり、あるいは自衛隊をはじめとする各機関 で活躍しました。また、外国の情報機関からの評価も高く、北朝鮮の情報機関でさえ様々なところでモデルとして きました。
中野学校卒業生は「中野は語らず」をモットーとしていたため、謎の部分も多く、昭和40年代はじめに市川雷 蔵主演の映画「陸軍中野学校」シリーズで取り上げられ、ミステリアスな部分ばかりが強調されたきらいがありま す。しかしその神髄には別のものがありました。
中野学校で国体学を教えたのは吉原政巳教官でした。ある中野学校出身者は「吉原先生がいなかったら中野学 校は単なるスパイ学校で終わったかもしれない」と語りました。単に技術を教えるだけではなく、国家に奉ずる精 神を持って、個々の人間が自らの判断で任務に基づいて行動出来る人間を作っていくことが中野学校の目的だった ということです。
「優秀な情報要員1人は能く1個師団に匹敵する」「中野学校がもし10年早く出来ていたら日本は戦争を回避出来 たかもしれない」といった言葉は中野の本質の一端を現しています。
もちろん今のRBRAには中野学校のような組織にする資金もなく、もちろん物的であれ精神的であれ政府や自衛 隊から支援が受けられるわけでもありません。しかし、拉致問題が膠着状態で、かつ北朝鮮が不安定になっている とき、RBRAがどのように関わっていくのかについて、方向性を明確にしておくことは必要です。
中野的なものの対極が野戦部隊としてのきちっとした編成をもった組織でしょうが、これは物理的にも難しい上 に彼我の変化が激しいために役に立たない可能性が少なくありません。それよりは個々人の資質(肉体的能力、 各種技能など)を向上させ、意識を高めて今後の状況変化に対応できる人材の集団としていくことが拉致問題につ いても最も貢献できる道ではないでしょうか。

第三回
  • 祖国への忠節、私たちが守るべきは過去から未来へと続くこの祖国である。守るに足る祖国を築き、その祖国を守る。

  • 同胞への仁愛、私たちは拉致被害者とその家族の痛みをわが痛みとし、決して同胞を見捨てない。

  • 戦友への信義、最前線であれ後方であれ、私たちは同じ戦いに臨んでいる戦友である。常にその仲間の姿を思い勝利のために邁進する

(平成二十一年二月二十一日 第一回総会にて制定)

心構え
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